COLUMN

俺の人生、三種の神器 -アベ トモミ ③カメラ編-

2020.09.14

アベ トモミアベ トモミ

▼俺の人生、三種の神器とは?

人生の転換期には、必ず何かしらきっかけとなる「人・もの・こと」があるはずです。そのきっかけって、その当時は気づけないけれども、振り返ると「あれが転機だった!」といったことはありませんか?そんな人生の転機についてアンテナ編集部で考えてみることにしました。それがこの「俺の人生、三種の神器」。

折角なのでもっとアンテナ編集部員ひとりひとりのことを知ってもらいたい!そんな気持ちも込めたコラムです。これから編集部員が毎週月曜日に当番制でコラムを更新していきます。どうぞお楽しみに!

突然限界が訪れたのは、成人式から1週間後のことだった。心が壊れる時、「パキッ」や「ポキッ」とか音が鳴るわけではない。ただ、長い間強く張り詰めていたものが、一瞬ふっと緩まるような感覚がして、次の瞬間には四畳半の部屋の片隅で泣き崩れていた。視界に濃いモザイクがかかったように見え、文字を形でしか認識できなくなる。言葉すら上手く出せなくなってしまった私は、東京での暮らしを諦めた。それでも何か表現したい、でないと心だけでなく自分自身が壊れてしまいそうになる。そんな中で手にしたのは、成人式のお祝いで買ってもらったミラーレス一眼カメラだった。

外の世界と繋がるために

不器用ながらも少しずつシャッターを切るたびに、写真を撮ることは、感情や想いを言葉にすることに近いことに気づいた。言葉を景色に重ね合わせたり、偶然にも撮ったものがその時の心情をよく表しているものもあった。一回一回シャッターを切る度に、ファインダー越しの世界にのめり込んでいく。プリントされた写真に写っていたのは、これまで客観視したかった自分の見ている景色そのものだった。誰の真似でもない、正真正銘私の写真。言葉を綴れない代わりに、撮った写真をInstagramにアップする。「いいね」を貰うより、外の世界と繋がりたくて写真を撮るのは今も変わらない原点だ。少しずつ自分を取り戻していく中、通っていた専門学校で、ライブ形式で行われる最後の試験が控えていた。このタイミングを逃せば、同級生達に次いつ会えるかわからない。目の前で消えていく青春をどうにか形にして残そうと、残りわずかな力を振り絞った。最後の青春を収めた写真は、同級生達に喜んでもらえた。自分の写真で誰かを喜ばせることができた、初めての経験だった。

写ルンですに導かれて

地元に帰ったタイミングで、自分の写真表現の原点ともいうべきカメラに出会う。小学生の時の修学旅行、カメラ付き携帯電話を持ち込むことができない私達の強い味方だったあのインスタントフィルムカメラ、 “写ルンです” だ。当時は撮ってプリントしなければ写真を見ることができなかったが、現在はデータ化してスマートフォンやパソコンで見ることができる。なんという画期的発明。久しぶりに手にした写ルンですで撮った写真は、フラッシュを炊かずに暗く写ったり、ピンボケしてしまったりもした。しかし、デジタル写真以上に “自分の見ている景色” に近い。まさしく「これだ!」と思った瞬間だった。大好きなくるりが2012年にリリースしたアルバム『坩堝の電圧』のジャケット写真は、写真家の奥山由之さんがフィルムで撮影している。その影響もあってフィルムで写真を撮り始めた。そんな5年前の秋、京都音楽博覧会で訪れた京都でとある喫茶店に入ろうとした時に、その横の店前に寝転んでいたコーギー犬がいた。どうやら看板犬らしい。愛くるしい姿を写ルンですに収め、その翌年にプリントした写真を携えてお店に伺った。遠く宮城から来たことや撮影した経緯を話すと、柔らかい京言葉の店主が「これをどうぞ」と一台のコンパクトフィルムカメラを私に下さった。この初対面の私に、だ。その時、まだぼんやりとしていた写真という道が、どこか運命的なものに思えたのだった。

光を愛したい

本格的に写真を撮る前は、音楽制作に夢中になっていた。どちらも自分にとって大事な軸であることには変わりない。私は、自分の作る音楽も撮る写真も、それを手に取る人にとって生活を彩るものになれば嬉しいと思っている。いわばサウンドトラック的な役割だ。なので、普段撮る写真は風景などのスナップ写真が多い。それももちろん良いのだが、最近は人物写真を撮りたいと強く思い始めた。「人は生きているだけで光を放つ」と、以前に大好きな人がTwitterで言っていた。その光を、私のカメラで収めてみたい。写真になれば、いつまでも光ると思うのだ。例えば、写真に写るあなたと撮った私がこの世からいなくなっても。その写真に写る人のことを誰も知らなくなったとしても。私はその光を愛したくて、今日もシャッターを切る。

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