こどもと魔法(1997年)
竹村延和

2020.08.30

マーガレット 安井マーガレット 安井

京都拠点のローカルな視点からインディペンデントな活動を行っているバンドマンやシンガーたちにスポットを当ててきたANTENNAの音楽記事。REVIEWでも主に関西のライブハウス・シーンで活動しているアーティストの新作を論じてきました。

 

そんな「今」を捉えてきたレビュー記事に新たな軸が加わります。題して『Greatest Albums in 関西』。ANTENNAが拠点を構える京都、ひいては関西から生まれた数ある名盤の中でも現在の音楽シーンにも影響を与え続けているアルバム作品を、2020年代に突入した現在の視点から取り上げていきます。

 

関西の音楽には全国的なムーヴメントに発展した音楽も数多あります。1960年代末の関西フォークから、70年代のソウル・ブルース、関西NO WAVE、ゼロ世代……『Greatest Albums in 関西』はこの地域の音楽文化史を作品を通して徐々に編んでいこうとする壮大なプロジェクトです。どうぞ長い目でお楽しみください。

 

企画概要:https://note.com/kyoto_antenna/n/nebb1fa9e3cde

この音楽の前では私たちはこどもになる

『こどもと魔法』に出会ったのは、今から7年くらい前だ。「色んな音楽を聴いてみたい」と思って買ったディスクレビューの本の、誰も聴いたことがない音楽というような文言をみて聴き始めたのがきっかけだった。しかし本作を聴いたあと、感想を言葉として表現できなかった。本作はグロッケンの美しい音色に突然ノイズを入れたり、ブレイク・ビーツがブツ切れに挿入されたりする。何度も同じフレーズを坦々と繰り返す楽曲もあった。当時、J-POP、J-ROCKといわれる音楽が好きだった僕の頭の中では、文脈に当てはまらない音が次々に駆け巡り、最終的には「すごい作品だ。けどわからない」以外の感想が出てこなかった。ただ時間と経験は人の認識を変える。時が経ち2020年に、本作と向き合い驚いた。「わからない」と思っていた作品は「カッコいい」に変換され、23年前の作品ながら今でも新鮮に聴こえる音に圧倒される。そしてこの変化も竹村延和の狙いだったことに気がつく。なぜなら本作はリスナーの誰もが子どものように新しい音楽を発見し、成長することを目的としている作品なのだから。

 

大阪出身の竹村延和は、ヒップホップDJとして音楽キャリアをスタートさせる。その後、恩田晃、山塚アイとのヒップホップ・グループであるAUDIO SPORTSや、生楽器アンサンブルと女性ヴォーカリストkikuを起用したユニット、Spiritual Vibesで活動。また1993年には商業主義に陥り、東京に一極集中している日本の音楽業界へのアンチテーゼとして京都に移り住み、個人スタジオ〈moonlit studio〉を設立する。以降、商業化する音楽が忘れかけていたピュアさを反映させたかったのか、子どもの感覚をテーマに作品を作り始める。1994年に初のソロ・アルバム『Child’s View』ではMonika Linges(モニカ・リンゲス)や、MENELIC(メネリック)などの多彩なゲストを呼び、子どもの無邪気さを音楽として描きだそうとした。ただサウンド自体はSpiritual Vibesでのボサノバやジャズを軸にしたクラブミュージックの延長線上にある音楽であった。その経験も踏まえてか『こどもと魔法』(1997年)ではそれまでの彼のディスコグラフィを刷新するような新しい音で満ちていた。

 

この作品を聴くにあたり、私たちは音楽のジャンルを頭の中から消し去る必要性がある。いや、再生ボタンを押した瞬間に、必然的に音楽の枠組みを取り払う体験を強いられるだろう。本作にはヒップホップ、エレクトロ、ドラムンベース、ジャズ、ミニマルミュージック、ノイズミュージック、アンビエント、トイ・ポップ、フォノグラフィーなど、膨大な音楽ジャンルが解体・再構成された形で収録されている。この辺りは竹村のDJ的な素養、すなわち過去の音楽をサンプリングし、1つの文脈として再構成するセンスが反映されている。

 

過去の自分は本作を言葉にするまでの理解が出来なかった。だが竹村自身も、リスナーが「わからない」といわれることは織り込み済みだったように感じる。本作のセルフライナーノートにはこう記されている。

サウンドに戸惑う方もおられると思いますが、BGMとしてでも何十回もかけてみてください。
毎回違う聴こえ方や発見、日常とは違う時間の感じ方ができるのではと考えています。(『こどもと魔法』セルフライナーノートより)

「サウンドに戸惑う方もおられる」と明記されていたことからも、音楽を聴いて「わからない」と思われても仕方がない、と竹村自身は考えていたように思われる。ではなぜ、リスナーが戸惑う作品を彼は作ろうとしたのか。

 

本作は子どもの感受性をテーマとし、竹村の体験に基づいた幼稚園に入る前くらいの幼い子をイメージして制作したとライナーで語っている。ここでいう「子どものイメージ」は、おそらく自分自身の子ども時代である。竹村は自身の最初の音楽体験をこう語る。

カトリック系の幼稚園だったので、ミサの際の聖歌やオルガンが一体となった音色を聞いた時、初めて音楽ってキレイだなと意識したことを覚えています。知識などもない頃ですから、神秘的だなというだけでしたが、今でもその体験は自分の中心軸にあるんだろうなと感じています。(竹村延和、ROBERTO FONSECA、SAUCE81が登場

子ども時代に感覚として捉えられた「神秘的」を自分の中心軸にする。言い換えれば「自分の音楽を言葉で表現できなくても、感覚として創作物を捉えてほしい」と竹村は常に考えているのではないか。そういう意味では、本作に対して「すごい。だけどわからない」とリアクションをとるのは正しいともいえる。

 

そして本作は「わからなくていい」の姿勢をとり続けるのではなく、「リスナーは成長する」という視点でも作られている。先程のセルフライナーでも書かれていたが、何十回も聴くことで本作は新しい聴こえ方をする。例えば生の管楽器の音と打ち込みがバランス良く配置されていること。耳なじみのいい音でありながら主軸となるメロディが全くなく、ポリリズムが多用されていること。それに“toybox with moonshine”のようにミニマルミュージックのような律動性のなかに、急にテンポの違う即興的なフレーズを入れ込みリスナーの注意を引き付ける。そのような様々な工夫が、何度も聴くことで読み取れる。

 

ただそれだけが何度も聴くことの真意ではないとも思える。それはリスナーの「経験」によっても、音楽は聴こえ方が変わるからだ。私たちの生活は毎日同じとは限らない。7年も経てば寄り添う音楽も違ってくる。私も今はテクノや現代音楽、ジャズなどあらゆる種類の音楽を聴くようになった。その経験をもとに再びこの作品を聴くと、竹村が再構成した音楽1つ1つに僕が今まで聴いてきた音楽のエッセンスを感じるようになり、それをここまで新しい音楽として昇華させていることに驚かされる。そういった様々な経験を経たうえで音楽を聴くと、音の1つ1つに意味合いが変わるということを竹村は伝えている。そういえば『こどもと魔法』のセルフライナーノートの書き出しはこうであった。

〈注意〉
音だけで何かを感じてもらった方は
この文を読まないでください。(『こどもと魔法』セルフライナーノートより)

彼は自分中心ではなく、リスナーに向けていかに想像力を掻き立てるかに注力している。『Zeitraum』(2014年)以降、竹村延和名義でのリリースはない。しかし今も竹村の頭の中ではリスナーの想像力を信じ、未知なる音楽を届けようとしているのかもしれない。

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