COLUMN

俺の人生、三種の神器 -片山香帆 ②病気になったこと編-

2020.07.27

片山 香帆片山 香帆

▼俺の人生、三種の神器とは?
人生の転換期には、必ず何かしらきっかけとなる「人・もの・こと」があるはずです。そのきっかけって、その当時は気づけないけれども、振り返ると「あれが転機だった!」といったことはありませんか?そんな人生の転機についてアンテナ編集部で考えてみることにしました。それがこの「俺の人生、三種の神器」。
折角なのでもっとアンテナ編集部員ひとりひとりのことを知ってもらいたい!そんな気持ちも込めたコラムです。これから編集部員が毎週月曜日に当番制でコラムを更新していきます。どうぞお楽しみに!

1つ目の神器は、人の注目を集めたことで「存在を認められた」と感じた学芸会。そこから頭の中は演劇でいっぱいになった。大学に入学し、演劇研究部に所属した私は、年4回の公演全てに出演し、外部のワークショップやオーディションにも積極的に参加。勉強そっちのけで、本気で演劇に携わる道を目指していた。しかし人生の転換期に現れた2つ目の「こと」で、その道に進むのを諦めることになる。

胸に大きなカゲ

大学3年生の5月。大学から「健康診断の結果について説明したいことがある」と呼び出される。「胸にカゲがあるから、病院で診てもらうように」と手渡されたレントゲン写真を見ると、胸に大きなカゲがあった。

 

「悪性リンパ腫」だった。

 

悪性リンパ腫は血液のがんの一種で、血液中のリンパ球ががん化した疾患である。最初に私を診てくれた地元の病院の先生は「“血液のがん”とあるけど、治るものですから」とフォローしてくれたが、“がん”の二文字は私の頭に残り続けた。

体と心がズレていく

治療は想像通りキツかったが、一番キツかったのは体と心がズレていくことだった。3週間の入院後、外来治療になったおかげで大学に行けるようになった私は、治療に励みながら舞台に立つつもりでいた。けれど公演に参加しようとする私に、先輩も同期も後輩も「治療に専念しろ」と言う。今振り返ると、治療が終わったわけではないのだから心配してくれるのは当然のこと。でも、その時はものすごく悔しかった。彼らの心配を押し切って練習に励もうとした時もあったけれど、抗がん剤治療の翌日はひどい吐き気に襲われ、ろくに動けない。心は演劇をやりたい。でも体が動かない。はがゆい時間が過ぎてゆく。

 

「悪性リンパ腫」と宣告された時より、治療中に何もできないことのほうがつらかった。はがゆさは苛立ちに変わり、私は家族や友人、部活の仲間に当たり散らすようになった。自分の望み通りに動けないのも、部活に復帰できないのも、思うように演劇ができないのも、欲しい役が勝ち取れないのも、全部病気のせいだ。

 

心が弱っていくのを感じた。

病気にさえならなければ

約半年の抗がん剤治療、1ヶ月間の放射線治療を終え、治療で抜けた髪の毛が生え揃わぬうちに、私は舞台に復帰した。でも、部活の仲間に八つ当たりしてしまったことで居心地が悪かったのを覚えている。それから治療中、恋人が私を支えてくれていたのだが、優しい彼にも不満をぶつけていた私は彼から別れを切り出される。彼は別れ際、「疲れた」と言った。居心地の悪さも「疲れた」と言わせてしまったのも全部私のせいなのに、この時の私はこれも病気のせいにする。

 

「演劇だけが私の味方だ」

 

そう思って演劇に人生を捧げようとした矢先、私は演劇を諦めることになる。私のやりたいことに寛容だった両親から、面と向かって「演劇はやめてほしい」「アルバイトをしながら役者を続けると言っていたが、がんが再発してしまったら金銭的に助けられない」と言われたからだ。ここまではっきりと「やめてほしい」と言われたのも、お金の話を切り出されたのも初めてのこと。演劇に明け暮れてきた私を応援してくれた両親が、申し訳なさそうに、でもはっきりとこの言葉を発した時、親が子を心配する気持ちと金銭的な不安を痛いほど感じた。

 

私はこの日から、演劇を遠ざけた。でも頭の中は「病気にさえならなければこんな目に遭わなくて済んだのに」という思いでいっぱいになり、治療を終えて1年後、私は心の病気になる。

 

20歳〜25歳までの5年間は、がんになり、心の病気になり、本当に散々な5年間だった。でもこの5年間があったからこそ、3つ目の転機が訪れたのだと考えている。 

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