COLUMN

俺の人生、三種の神器 -辛川 光 ②作曲編-

2020.06.29

辛川 光辛川 光

▼俺の人生、三種の神器とは?
人生の転換期には、必ず何かしらきっかけとなる「人・もの・こと」があるはずです。そのきっかけって、その当時は気づけないけれども、振り返ると「あれが転機だった!」といったことはありませんか?そんな人生の転機についてアンテナ編集部で考えてみることにしました。それがこの「俺の人生、三種の神器」。
折角なのでもっとアンテナ編集部員ひとりひとりのことを知ってもらいたい!そんな気持ちも込めたコラムです。これから編集部員が毎週月曜日に当番制でコラムを更新していきます。どうぞお楽しみに!

私と音楽

今も活動を続けている私の音楽の源流は、生まれ育った鳥取県の実家にある。食事の際はテレビを点けないという家の方針があり、クラシックやジャズが流れ、フォークソング全盛期に青春時代を送った両親と6歳年上の兄のおかげで、様々な音楽が家には溢れていた。

 

野球とテレビドラマに夢中で流行りの歌ばかりを聴いていた小学生だったが、思春期に突入すると、まるで最初からそうなることを決められていたかのように、好みの音楽を能動的に探すようになり、高校生の夏には兄と同じくギターを始めた。

初めてエレキギターを大きな音で鳴らした日、自分の弾くギターフレーズが徐々に目標としている曲のメロディになった日、初めて人前で演奏した日など、転換点はいくつもあるが、一番大きな節目は間違いなく、自分の曲を作り出したときのことだろう。私の「三種の神器」の2つ目は作曲をはじめた時の話だ。

神がするものだと思っていた作曲

アーティストのインタビューなどで、「10代で作曲を始めた」という話をよく目にするが、私が作曲を始めたのは22歳であった。大学では軽音楽部に所属し、色々なバンドの曲を演奏していた。自分で曲を作りたいという欲求は抱えていたものの、行動に移すことができなかった。好きなアーティストを神格化するような傾向が自身の中にあり、「作曲は神がするもの」という大げさな固定観念が根付いていたからだと思う。

 

大学生活の終わり頃、自分のバンドをつくろうと決意した。きっかけはバンドで作詞・作曲をしている友人のだらしない生活スタイルを知って、「この人が神様のはずがない……」と呆れ、「やってみないと始まらない」と挑戦する気持ちが芽生えたからである。きっかけはどうであれ、やる気にさせてくれた友人には感謝したい。京都の大学院に進学し、仲間たちとバンドを結成し、いよいよ曲作りをはじめた。

作曲をはじめたからといって、いきなり曲ができるわけもなく、とにかくギターを弾いては動画に収める作業を繰り返した。ずっと聴き続けてきた音楽であるにも関わらず、いざ曲を作るとなると、どのような過程で曲が作られていくのか、なにが曲を構成しているのかがイメージできず、素材をひとつひとつ積み上げていくしかないと判断したからだ。作曲をはじめて時間が経った現在でも、パソコンに音を打ち込む作業よりも高い頻度で楽曲のアイディアを動画に収めている。パソコンに音源データを入力してしまうと、その時点での「正解」を決めないといけないような気持ちになるからだ。

 

動画を撮ることで、感情を表現する音の強弱をチェックできることも利点のひとつだろう。また、録画時間内では、フレーズを微調整しながら何回でも弾き直すことができ、時には、棚からぼたもちと言うべきか、ボツにしたフレーズが新たな楽曲のアイディアを生むことさえもある。

歌詞などが浮かぶと一気に書き殴るため、判読が難しいことも多々ある。

楽曲の種をコツコツと形にしていく日々が続く中、頭の中にメロディが浮かび始めるようになる。メロディが浮かんだ時は、断片を逃さないように、曲の続きを想像しながらボイスメモに録音した。思い浮かんだ断片は、全体のイメージが膨らむほど、「音のかたち」がはっきりしていたり、数秒先までしかイメージできないほどぼんやりしていたりと様々であり、響きや楽曲構成、どのような感情なのかという、漠然としたイメージをノートに殴り書きした。細かいことでもとにかく書き記すという行為が、アイディアを膨らませ、ひとつの曲にするという鍵になっている。

 

浮かんでくるものを信頼し、「自分が聴きたい曲」を作ることが、作曲をする時に大切にしていることである。頭に浮かんだフレーズをゆっくりと自分の理想形にしていく行為は、ギターを始めた頃、好きな曲を夢中で練習した時のことと遜色ないのかもしれない。

漫画のような体験

「初期衝動」と言うべきか、2016年秋のバンド結成後、続々と曲が生まれ、翌年の1月に初ライブを行った。その後、様々なライブハウスで演奏を行い、経験を積んでいったが、楽曲制作の理想が高くなってしまったのか、壁に阻まれることも多くなっていた。山あり谷ありの活動の中で、「私の音楽はお金が払われるに値するものなのだろうか」、「音楽を続けて良いのだろうか」という不安も感じるようになっていた。

 

そのような状況の中、漫画のような体験をすることになる。私のバンドが半年以上をかけて準備し、総勢17組に出演してもらった夏フェス、『SHIRUKA SHIRANUKA Fes.』での出来事だった。

ライブ運営に疲労困憊しながらも、達成感とともに迎えた私たちの演奏中、言葉にし難いのだが、弾いているのに音がうまく聴こえない。曲がまるで、音源として再生されているかのような感覚を覚えた。どこか遠いところからゆっくりと、自分の曲が聴こえてくるような現象に出会ったのだ。そのゆっくりで静かなひと時、私は客席を見渡した。そこには「私の歌を口ずさむ人」、「涙を浮かべる人」、「手を振り上げる人」など、私の音楽で「動いている人」の姿があった。私の音楽が人を動かしているという実感がゆったりと進む時間の中で脳裏に刻まれていった。

2020年2月23日 京都GROWLYにて。

最大限の集中をした時、時間の流れがゆっくりになる現象を耳にしたことがあるだろうか。その現象と同じかどうかは分からないが、野球の神様、故・川上哲治氏は「ボールが止まって見えた」という言葉を残している。漠然としたイメージが形になるのに長い時間がかかり、決してスムーズにはいかなかった活動が報われた最初の瞬間だった。

 

目立つこともなかった少年時代を過ごした私が、いつのまにか人前で自分の曲を演奏している。不器用な私は、他人が好きなそうな曲を狙ってはつくることができない。自分から湧き出るものをゆっくりと形にしている。私の作った曲が誰かを動かす1曲になるように、今日も音を鳴らしている。

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