COLUMN

俺の人生、三種の神器 -松原芽未 ①嶋田先生編-

2020.06.22

松原 芽未松原 芽未

▼俺の人生、三種の神器とは?
人生の転換期には、必ず何かしらきっかけとなる「人・もの・こと」があるはずです。そのきっかけって、その当時は気づけないけれども、振り返ると「あれが転機だった!」といったことはありませんか?そんな人生の転機についてアンテナ編集部で考えてみることにしました。それがこの「俺の人生、三種の神器」。
折角なのでもっとアンテナ編集部員ひとりひとりのことを知ってもらいたい!そんな気持ちも込めたコラムです。これから編集部員が毎週月曜日に当番制でコラムを更新していきます。どうぞお楽しみに!

それほど母校に愛着がない。けれど、大学生活そのものが人生の転機だったのかもしれないと考えることがある。自分の方向性を決めた出来事が、退屈で愛おしいあの4年間に詰まっているから。それに、10年経っても覚えている授業があるだけで、きっとあの大学に行った意味はあったのだと思う。

 

すべては2号館の大教室から始まった

2号館の端っこ。よくある広い階段教室に学生の声がガヤガヤと響いている。チャイムが鳴ってから10分は経っていた。誰かが急ぎ足で入ってくる。マイクを持ったその人は、遅刻を詫び、授業の概要と注意点を説明し始める。そして最後に急に一言、「この授業が合わないと思ったら今すぐ退席してもらって構わないです」。ピリッとする教室。でも誰も席を立つ人はいない。「厳しそうだけど面白そう」という期待感が教室全体を覆っていた(今思えば、離席してみんなの注目を集めるのが嫌だっただけかもしれない)。これが嶋田先生との出会いだった。

 

嶋田先生のことを一言で説明するのは難しい。専門は日本文学。風貌は元気がなさそうな田口トモロヲをイメージしてほしい。人前で話すのが仕事なのに、人見知りであまり目が合わない。長年大学に勤めていて地位もあるのに、よく喫煙所の端っこで居心地悪そうにたばこを吸っている。ジャケットの下にスティンキー(ムーミンに出てくる毛むくじゃらのキャラクター)のTシャツを着るチャーミングな一面もある。そして、とんでもなく授業が面白い。

前のめりで受ける日本文学

授業は近世・近代の作家の生い立ちを学び、年表や手記などと照らし合わせながら彼らの作品を読んでいくものだった。例えば、芥川龍之介の「河童」に出てくる河童の国では、この世に生まれてきたいかどうか胎児に選ばせる場面があるけれど、これは芥川の実母が生後まもなく精神を病んでしまったことを発端とする、自身の出生への後ろめたさが影響しているのでは?といった具合だ。

 

「こんなこと話しちゃっていいの?」と思った話も一度や二度ではない。“他者という分かり合えない存在”について話がおよんだ時は、例に自分の奥さんや娘さんを挙げていてびっくりした。今聞けばすんなり納得のいく話だけど、18歳の私にとって家族ですら他人だと言い切った嶋田先生の発言は衝撃的で、同時に「これが成熟した大人の視点なのか…!」と妙に感動した記憶がある。

 

話題は作家の極私的な生活から思想にいたるまで幅広く、自分とかけ離れているように思える話も、嶋田先生の口から聞くと興味がわいた。別世界の恐ろしい所業というイメージのカニバリズムでさえ、「でも『目に入れても痛くない』とか『かわいすぎて食べちゃいたい』って言いますよね」と言われると、急に自分と地続きになった気がしてドキッとしたものだ。

 

こんなにスリリングな授業を受けたことがなかった私は、日本文学にのめり込んだ。他の授業では寝たりおしゃべりしたり散々な態度だったけど、無遅刻無欠席は当たり前、集中できるようにあえて一人で受講する“意識高い系”に変身した。

当時のノート。捨てられなくて今でもとってある。

答えのない問いをめぐる旅

嶋田先生の考察はいつだって面白かったけど、決して学生に考えを強要しなかった。だから自由にレポートを書くことができた。作品を読み込んでテーマや構造を考えてみる。作家の人生を調べて、なぜ書いたのかを想像してみる。答えが一つではないからこそできる自分だけの思考の旅は、楽ではないけど何にも代えがたい豊かな体験だった。今でも、小説や映画で印象的なモチーフを見つけるたびに「これにはどんな意味があるんだろう?」と考えている自分がいる。

 

一通り作品を楽しんだあとは、作家や監督のインタビューをググって片っ端から読むのも習慣になっている。もちろん授業のようにうまくはいかないけれど、作り手の言葉の中から作品のヒントを探すのが楽しい。昔だったら理解できないと切り捨てていたものも、別の角度で捉えると違う姿が見えてきて、意外と仲良くなれそうに思えるから不思議だ。

 

結局、たった1年では飽き足らず、大学卒業までずっと嶋田先生の授業を受け続けた。4年生の冬、全く授業と関係ないのに提出前の卒業論文(しかも2万字!)を読んで赤字を入れてくれた思い出は、今でも心の宝箱に大事にしまってある。日本文学を学んでいたつもりだったが、作品、ひいては物事に対する向き合い方を勉強していた。嶋田先生の教えは今も私の中に脈々と流れ、これからもずっと指針であり続けるのだろう。

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