COLUMN

【脇役で見る映画】 役割をひとに頼らず生きていく『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』

2020.05.12

川合 裕之川合 裕之

なんせお金がないものだから、大学生の頃、毎回いつも違う美容室で散髪をしていた。初回限定のクーポンを使うために、あらゆる美容室を転々とするのです。

 

当然、いつも初対面の美容師さんに切ってもらうわけだけれども、「大学は?」「部活は?」とか他愛のない話をするのが苦痛だった。

 

この類の会話にはよく知らない親戚を相手にするような白々しさがあるし、かといって本気で受け答えするのもなんだか疲れる。面接じゃないんだしさ。

 

悩みに悩んだ末、僕は「架空のプロフィール」を作って遊ぶことにした。

 

ある時はスポーツ青年に、ある時は勤勉な法学徒に、ある時はボランティアサークルの部長――。色んな設定の中で、色んな事件に巻き込まれた。恋の話はあまりしないけれど、なんだか四畳半神話大系みたいだ。(京大生にもなってみたかったけれど、残念ながら学生証は嘘をつかない)

 

頭の中にある知識を総動員して立体的な世界を勝手に作る。全然知らない世界の「あるある」をひねりだしたりする。興味のないファッション誌を眺めるよりかはうんと頭を使うことになるから暇つぶしには丁度良い。

 

嘘をつくのは楽しいです。

 

髪を切り終わるころには、美容室の鏡の中にまったく違う自分が座っている。

ディカプリオがひたすらスマートに嘘をつく映画

そういうわけで、きょう取り扱う映画はこちら。

『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』

 

詐欺師のレオナルド・ディカプリオとFBIのトム・ハンクスが追いかけっこしている様を、スピルバーグが監督して撮った超大作映画。いつもと違って今日はガッツリ物語の根幹にまつわるネタバレをしてしまうので、まだの人はどうか是非見てみて頂戴ね。2002年の映画なので、100円とかで見れるさかいにね!

 

さて、それでは参ります。

 

え、なに、映画は見ないで記事だけフライングして読むの?

 

しかたないな、じゃあそんな人のためにも簡単にあらすじ言いますね。スパッと言ってしまえば、ルパン三世からルパンと銭形警部以外のキャラを全部とっぱらって二人だけにして、ディカプリオとトムハンクスに演じさせた、みたいなそういう話です。なおキャストの都合上、ケツアゴの担当は銭形からルパンに交代します。

 

とまあそんな映画。いや全然違うけど、ざっくり書くとこんな感じです。

心のギャル、登板……せず?!

なんでこんなことするかっていうと、ディカプリオ演じるフランク・W・アバグネイルの家庭環境が原因。彼の父はそれはもうやり手の実業家なのですが、経営がうまくゆかずに財政難に。愛車のキャデラックは売っぱらい、豪邸も売って小さなアパートに引っ越し。学校だってせっかくの名門校だったのに荒れに荒れた公立高校に転校するはめに。いうてるまあに親は離婚してしまうし、さあ、どうする?!

 

「も~~~やだ~~~お金欲しい~~~¥」

 

と心のギャルが開花して、詐欺師の道へ……。

 

というのであれば話は簡単だったのですが、実はそうではないのです。事態はもっと複雑で、フランクの病理はもっと入り組んでいる。

 

フランクは実業家のお父さんに強い強い憧れを持っていたのですが、尊敬する父が仕事を失い、社会的な地位を失い、そして家庭を失うことが耐えられなかったのです。

フランクは(一般的に、あくまでも一般的に)理想とされているような家庭の再建のために、そして何よりそんな家庭を父に取り戻してもらうために、あの手この手で自分を偽って大金をせしめるのです。

きょうの脇役:フランクの母、ポーラ

きょう僕が想いを寄せたいのはフランクの母、ポーラです。

 

映画の前半はともかくとして、それ以降はほとんど登場しません。時折スクリーンに顔を見せることもありますが、フランクと会うシーンではなく銭形(トムハンクス)が捜査がてら家に尋ねてくる、というような一幕ばかり。フランクは家を飛び出して詐欺師になってからも慕ってやまない父とは何度か面会するのですが、母親に直接会いに行くことはないのです。

 

このお母さん、とにかく逞しいのです。すぐに旦那の事業が芳しくないとわかるとすぐに実業家の再婚相手を見つけ、金銭的に何不自由のない暮らしを取り戻し、子を授かり幸せな家庭を再建します。

 

暖色の照明、ゆったりとしたソファ、暖炉みたいなのがあって……。

 

「見たことも聞いたこともないけど、カントリーマアムを作ってるあのおばさんは20年前こんな暮らしをしてたんでしょうね」みたいな風景に籍を置く住民票を手に入れるのです。

もはや、助演ではない

と、ここで僕の心の中でカミナリのたくみが、まなぶをぶん殴る。

 

「おんまえ、もはや脇役じゃねえな!!!!」

 

このお母さん、「他人の人生に関与する」という意味合いにおいてまったく脇役として機能していないのです。特に息子のフランクとは良い意味で一定の距離を取っているのです。

 

息子に止められてもやっぱり禁煙できないし、事業に躓いた夫を献身的に支えるでもない。このように書くと「悪者」のように思われるかもしれないけれど、僕はこの姿勢こそがある意味で人間が社会で生きるにおいて必要なのではと考え込まされてしまいました。

 

自分のアイデンティティを他者に依存させるのは危うい。自分が何者か。それは自分の意思で定義しておかなければ、自己というものは簡単に空洞化して壊れてしまう。鷲田清一も似たようなことを書いている。

 

だから「この子の母親」「この人の夫」というような「役割」を簡単に捨てることができる彼女は強いのです。いいえ、すみません、書き方が悪かったです。捨てる、という言葉自体が僕たちにとって独善的だ。彼女はあくまでも他人のためではなく、混じりけなしに自分を肯定します。自分は誰の脇役でもなく、自分は自分の人生の主役だという軸を曲げないのです。

 

「そういえば、再婚するのも早かったな!!!」

 

そういえば離婚する前から再婚の相手は決まっていた。たしかに子にとっては世界で最も残酷な情事なのだけれども、敢えてその一切を保留して我が道を進む強さがそこにある。

 

最も危険なのは、求められていない役割を演じること。つまり主役のフランクが誰よりも精神的に脆いのです。それもそのはず、彼は17歳から家を飛び出して詐欺師の道を一人で歩みます。本当の自分なんて見つけるどころかぼんやりとした輪郭すら見えない状態で架空の人物を演じて実体のない隠れ蓑を被ってしまっている。そしてそれは何よりも家族のため。

 

空洞化した人間の心を叩くと、甲高くむなしい音が遠くまで響く。

 

どんな世界にも脇役は居ない。誰もが主役なのだ。そんなテーマで勝手にスポットライトを当てるのがこの連載ですが、きょうに限っては僕の出番はあまりありません。ちょっとくらい角が立つかもしれないけれど、自分のために自分の世界を作る責任があるみたいだ。

 

さあ、これまでの人生を振り返って耳を澄ませて欲しい。きみの心の中のカミナリは、なんて叫んでいるだろうか。

 

「カントリーマアムにおばさんは出てこねえな?! ステラおばさんと混同してるな!!!」

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