COLUMN

堤、ウズベキスタンへ行く – 単一の文化ってなんだよ –

2020.01.31

堤 大樹堤 大樹

新疆ウイグルは僕に新しい興味の種を植えた

くるりの“ハイウェイ”では旅に出る理由が100個もあると歌われていたが、自分の場合はそんなにない。というよりほぼない。そもそも自分が遠い場所を訪れるのは「旅」なのだろうか?正直なところ、僕はどこへ行っても観光客にも旅人にもなりきれず、少しの開放感と一緒にちょっとした居心地の悪さをいつも感じている。だがそうした感覚を忘れそうになる度に、急き立てられるように遠くへ行ってしまうのだ。別に行かなければいけない理由なんてどこにもないのに。

 

ロシアへ行く際にトランジットで新疆ウイグル地区へ寄ってから中央アジアに興味があった。中央アジアとはいわゆる「〜スタン系」の国が主で、アラブや中東と混在している方も少なくないように思う。かくいう自分もそんなひとりだ。僕が中央アジアやコーカサス(最近はジョージアがやたらフォーカスされているが)の地理をうまく把握できていない要因のひとつは、その複雑な歴史であることは間違いない。

 

中央アジアは多くの都市がシルクロードの交易点として栄えたが、幾度も多くの遊牧民に侵略され、国境は民族や文化の違いを気遣われることなく次々に塗り替えられてきた。とどめは近代のソビエト連邦の征服。これが不可逆的な変化をこの地域にもたらしたことは多くの書籍でも言及されている。年末年始に僕が訪れたウズベキスタンの独立は1991年と、長い歴史で見れば本当に最近のことだ。

中央アジアは周囲の大国に翻弄されてきた歴史もさることながら、夏は暑く冬は寒い、人が住むには厳しい環境だ。しかし、そんなことを物ともしない朗らかさ、人懐っこさがなによりも印象に残った国となった。

 

ローカルなお店に手招きして誘ってくれただけでなくすべての注文を代わりにしてくれたおじさんにはじまり、家でお茶を御馳走してくれたタジク人一家、道端で靴下を販売するおばあちゃん、バザールでバーベキューを一緒にしたおっちゃん、出会った人たちは誰もが朗らかに旅人である僕を寛容に受け入れてくれる。そして彼らは僕に純粋な好奇心でたくさんの質問を浴びせてくるのだ。彼らはきっと、こうして昔から東西南北の異文化を自然と混淆してきたのだろう。

タジク人のちびっこ
魚を焼いてくれたおっちゃんず

僕がこの旅で一番感動したのは、「文化が伝播する仕組み」みたいなものを体感したからだ。あなたは文化を伝えるシルクロードと聞くと、どんなイメージがあるだろうか?ラクダが隊商を組み荷物を持って長距離を移動するようなイメージをする人が多いのではないかと思う(僕だけだろうか)。その原因はおそらく中学生の頃、正倉院のペルシャのガラスについて学んだ時に広いユーラシア大陸を一気に突き抜けて文化が日本にまで届いたような印象を受けた記憶があるからかもしれない。

 

だが文化が伝わるというのはそうではない。もちろんそういった例もあるだろう。しかし多くの文化は少しずつ、アメーバが分裂し、またつながっていくように地道に陸路を伝い混ざり合いながら伝わっていくものなのだ。我々はあなたたちとは文化も民族も違うと、様々なものに線を引きたがる昨今だからはっきり言いたい。そんなものはナンセンスだ。我々は様々なものから影響を受け、また与えてきた。そうやって社会や文化を作り上げてきたのだ。それを強く感じさせたのは、ウズベキスタンのバザールという仕組みである。

文化を伝播させるバザールという仕組み

サマルカンドのショブバザール

自分にとって、旅の楽しみのひとつは市場をまわることである。大抵の国にはあるし、その土地や地域でしか見られない食材や、味も想像できないような料理が並んでいるのを見ているだけでもワクワクする。そしてなにより市政の暮らしや、時には歴史までもが垣間見える場所だからだ。それはコモディティ化していく世界の中で、わざわざ旅をして遠くまで足を運ぶ理由になり得る。さらにその中でもイスラーム諸国に根付くバザールという文化は、スーパーが席巻する西欧諸国の文化に慣れ親しんだ自分にとって刺激的なのだ。もちろんイスラームであるウズベキスタンにも、街ごとに大小様々なバザールが存在している。

 

今回、僕が訪れた2つの都市のうち、サマルカンドのバザールは規模が大きかった。ショブバザールでは近隣の街や村から集まってきた食材に加え、服や調理器具などの日用品から家電やおもちゃまでほとんどのものが所狭しと並べられている。京都の錦市場ではないが、多くの市場が観光化されていく中でショブバザールは、ほとんどが地元民向けの商品だったことは興味深い。

冬は厳しく、保存食を作るので大量購入が基本
穀物もたくさん売っている
流しの歌うたいはどこにでもいるものだ
レストランはないがご飯も食べられる

他の国の市場との大きな違いは、誰もが気軽に「買い手」だけでなく「売り手」にもなれることだろうか。広大な敷地は「店舗のエリア」「屋根とテーブルがあるエリア」「ただの平地」の3つのエリアに分けられている。調べたところ、それぞれ出すエリアによって場所代が違うらしい。

 

バザールにはきちんと管理局があり、その管理・運用費に場所代があてられるようだ。ただ駐車場のようなどう見てもただの空き地に商品を並べている人もいて、それには場所代はかかっていない気がする。つまり買い物ついでに、自分が持ってきたものを空いたスペースで販売してお金に換えることができるのだ。

 

ということはおそらくだが地元民以外の人、近隣の街や村、おそらく古くは行商人のような人も出品ができるということ。そうして彼らは商品と一緒に、情報を交換しているはずなのだ。そして村に帰る人はその情報を自分の村へ、行商人は次に訪れた街へ運んでいく。今よりずっと情報の伝達が困難な時代に、そうやって伝言ゲームのように少しずつ文化が変質しながらも伝播する。この文明の十字路を経て、集積されたものが日本の文化だと感じた瞬間、妙な興奮を覚えたのだった。

移転したばかりで、名もないヒヴァのバザールはサマルカンド以上にローカル感がある
声をかけると喜んで写真を撮らせてくれる
時には声をかけなくてもね
昼過ぎには半分は店が閉まる

東西南北の影響が垣間見える食文化の懐の深さ

次に紹介したいのは、「文明の十字路」を体現している豊かな食文化についてである。僕がこれまでに訪れたユーラシア大陸を中心とした国は、台湾・中国・タイ・インド・ロシア(+タタールスタン)・スペイン・イタリアの七ヶ国。そのいずれの国の影響をも感じる不思議な食文化がウズベキスタンには広がっていた。

 

ロシアでドハマリをしたと以前のレポートで書いた、ペリメニ。ウズベキスタンではチュチュワラと名前を換えていたものの、まったく同じ料理として存在していた。朝食にも昼食にも晩御飯にも合わせられ、またメインにもサイドメニューにもなりうる便利な料理だ。なにせ餃子ほどはこってりしていない。

 

立地だけで言えば、どう考えても中国に近いのはウズベキスタンである。それが中国式の餃子ではなく、サワークリームを添えたロシアバージョンとして根付いているのが不思議だ。ちなみにチュチュワラとは別にマンティという芋とお肉を包んだ似たような食べ物も存在しており、こちらは中から肉汁があふれるあたり小籠包を彷彿とさせる。でもこれもサワークリームが一緒になってるんだよなあ。

チュチュワラ(ペリメニ)
水餃子風は朝食に最高
マンティの方が優しい味だった

中国式の餃子はないものの、東から伝わった料理ももちろん存在している。それがラグマンだ。言ってしまえばラーメンが訛ったものらしいのだが、味は日本のものとも中国のものとも別の物だった。

 

スープや具材は肉じゃがをイメージしてもらうとわかりやすいかもしれない。お肉にじゃがいも、人参などを煮込み、それに白くコシのあるうどんのような麺をいれて食べるのである。このラグマン、ウイグルにもあるらしく、香辛料が効いて辛い食べ物と聞いていたのだがウズベキスタンで食べたものはいずれも辛みはなく、むしろあっさりしていて出汁がきいた馴染みのある味だった。これもまたクセになる。日本でも出したら正直人気になりそうだ。でも僕はパクチーはノー。

一軒目の街のしなびたレストランのラグマンが美味しかった。多分手打ち

それ以外にも各地から伝わったであろう料理がウズベキスタン料理として根付いている。南から伝わったであろう香辛料にノン(インドのナンである)、トルコから伝わったとされるプロフ(ようはピラフ)、それに遊牧民がもたらしたであろうシャシリク(肉の串焼き)などがその代表例としてあげられる。

 

また一番ハッとしたのはキムチがバザールやコンビニで売られていたこと。これは旧ソ連のスターリンの時代に強制移住をさせられた朝鮮人の影響らしく、僕が訪れたサマルカンドという街にもたくさんコリアンレストランがあった。ウズベキスタンの人々にも広く受け入れられており、食を彩るひとつにはなっているが、この土地が重ねてきた悲哀のようなものも感じられたのだった。

ノンは地方によって形や味が少しずつ違う
香辛料は画になる
米が食べられる国はありがたい
ここまで臭みのないラムははじめて

ウズベキスタンに住む人々について

ソ連時代に流入したロシア人や、強制移住をさせられてしまった朝鮮人に加え、多くの人種が混ざり合って文化を形成しているのがウズベキスタンだ。国の名前の元になったウズベク人にはじまり、カザフ人やクルグス人にタジク人、近隣で国家を形成している民族は人数の多寡に関わらずその多くがウズベキスタンの国籍を持ち生活をしている。それ以外にもおそらくアラブや、インドにルーツを持つであろう人もいて、本当に見た目の同質性が意味をなさない国であると感じた。

 

また彼らは混ざり合い文化を形成する中で、自分たち固有の言語や文化もきちんと保持している。そのため、バイリンガルやトライリンガルであることも当たり前で、下手をすれば4,5ヶ国語を操る人もいた。ある日、バザールををふらついていると、ベビー用品を作っているタジク人一家の家にお邪魔してお茶をすることになったのだが、ほぼ全員がロシア語に加え、タジク語とウズベク語を話せるらしい。おばあちゃんに至っては、韓国へ出稼ぎに行っていた経験もあり、韓国語と英語も少し話せるというマルチリンガルっぷり。

 

やはり他言語を覚えるに当たり、実際の生活で使用するのが一番早道だと感じさせるエピソードである。そして言語を覚えるということは文化に触れるということでもあり、自然と異文化を取り入れられる環境なのだ。ちなみにバザールの半分はウズベク人、残りのほとんどがタジク人とはその家のお母さんの言である。

家では韓国ドラマをずっと見ていた、人気らしい

とは言え、それが純粋に「良かったね」という話で終わるわけでもない。家にいれてもらってすぐに、なぜか何度も「ウズベキスタンは好きか」「居心地はどうか」と聞かれた。旅先お馴染みの、定番の自国の感想を聞かれる質問かと思い、「好きだよ」と答えていたが、「本当に?なぜ」と苦い顔で聞き返された。我々には踏み込めない、当事者たちにしかわからない特有の問題があるのかもしれない。

あなたにはどこの国の人に見えるだろうか

最後に、経済事情について少しだけ言及をする。純粋な好奇心なのかなんなのかわからないが、ウズベキスタン人はお金の話が好きらしい。この家に限らず、僕はこの旅の中で何度か給料を尋ねられることがあった。お土産屋を運営していた19歳のお兄さんは月収が15万円、お茶をご馳走になった家のお母さんの月収は1万円らしい。いずれも極端な例かもしれないが、いかに物価の安い国とは言え、いずれも厳しい数字のはずだ。

 

その時に自分が使っているお金の価値については改めて想いを馳せざるを得なかったし、旅ができる身分であることもまた少し居心地を悪くした。経済的に厳しい彼らには、知らない世界を見たり知ったりする資格はないとでも言うのだろうか。

おわりに

正直に白状する。欧米にはなんとなく興味あるフリをしてきたけど、それ以上に心躍らせるのはアジアやアラブの諸国だったことにこんな年になってようやく気づいた。どうしてだろうか、長い移動時間の間に考えていたのだが、おそらく「よくわからない」からのような気がしている。距離としては西欧諸国の方がずっと遠い。しかし映画などのポップカルチャーで慣れ親しんでしまっている分、感度の悪い僕は驚きを感じられなくなってしまっているのかもしれない。それに比べると、僕が知っている倫理や感覚とは大きく違うものがたくさんあるし、知れば知るほどよくわからないものが増えていく。それが楽しいかもしれない。

 

また最近読んだ本で「大切なのはルーツではなく、ルート」という言葉を見た。ルーツという変化させられないものでお互いをとらえるのではなく、どのような道筋を通ってきたのかルートで相互にバックグラウンドを理解をしようという考え方である。この考え方、個人的にはとても好感が持てる。ルートであれば、違う民族であっても双方の違いにフォーカスできるし、それが互いのアイデンティティを尊重するように感じられるからだ。ウズベキスタンは多様なルーツが混ざり合い、判別がしにくい。その分、自然と個々人のルートが尊重されているのかもしれない。こうした考えが、今の不寛容な日本社会のあり方を少しでも緩和できるのではないかと思う。

そうそう、そう言えばウズベキスタンは陶器のお皿が名産なのです。2つの街で手に入れたよりすぐりのアイテムを仕入れてきました。2/1(土)にCON-TENNAで販売会を行うので、旅の話もしつつ手に取りに来てください。本当に色鮮やかでかわいいので。詳細は以下より。

A Door to Somewhere – ウズベキスタン・イランへの扉 – 〉

写真で見るこぼれネタ集

インフレしていて、お札が溜まる。これで5000円くらい。
大晦日はケーキを食べるのが慣例らしい
あとなぜかサンタ
どこか仏教の影響を感じさせるモスクの天井
ソ連時代を経験したため、イスラームでもお酒を飲むことに抵抗がない
スザニも買って帰りたかったが少し高かった

人物ポートレート

風景スナップ

※仕入れてきてお皿や靴下の販売をSHOPで開始しました。

https://kyotoantenna.theshop.jp/categories/1744549

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