COLUMN

金田金太郎のアートウォッチメン!ステートメント03『Before I Love』

2020.01.14

金田 金太郎金田 金太郎

この連載は、関西を中心に美術作家の金田金太郎が、開催されているアートな場所を訪れ、ステートメント(アーティストの声明文・展覧会のごあいさつ文)とともに、アーカイブしていくものだ。

ステートメント03:『Before I Love』

石原梓さん(作家ご本人)

1. 100年後の絵画を見据えて

“風に吹かれる花を見たとき、あらゆるものは全て移動しているということに直感的に気がつき頭を撃ち抜かれるような経験をした。移動は多くの要素を含んでいるが、その中でも過去や未来、記憶や行動、痕跡といった要素からインスピレーションを得て作品を制作している。こうして作られた作品がもし百年後まで残ったとき、新たな時代の人びとに寄り添い続けていられるような作品を私は作りたい。”

第3回目となる本企画で取り上げるのは、京都府宇治市にある<らうらうじギャラリー>で10月26日(土)から11月10日(日)まで行われていた石原梓さんによる個展『Before I Iove』だ。合計180点にもおよぶ絵画群は全て、今年に入ってから作られた新作である。はじめに引用した石原の言葉は、今回の展示のステートメントであると同時に、作家のステートメントでもある。内容からもわかるように、石原の言葉には現代という地点からはるか遠く離れた地平を眺めるような大掛かりな時間の移ろいをみてとれることだろう。石原にとって、100年後にのこる絵画とは何か。そうしたことを考えながら、本展覧会で行われていた彼の試みを読み進めていきたい。

らうらうじギャラリー外観

2. ふたつのかげ

石原は1989年に大阪で生まれた。京都精華大学に進学するやいなや、一年時から制作発表を行い続けている精力的な作家だ。そんな石原が一度だけ画業人生をも危ぶまれるほどのできごとが襲った。2012年、23才の時に交通事故に遭ったのだ。命に別状はなかったものの、退院後も思うように利き手のスナップがきかない日々が続き、彼の持ち味である繊細なストロークが絵画に戻ってこなかった。「人生のどん底に突き落とされたような感覚だった」と後に語るように、事故は理不尽にも彼自身と絵画の関係を引き裂いていくものだった。

事故に遭った後も、石原は日課である水彩スケッチを続けていた。自然の営みを観察している中で彼は自然現象に関するいくつかの謎を持っていたが、そのうちの一つが、あるときネットで見かけた「ビーナスベルト現象※」というものに等しいことを知った。太陽が落とした地球の陰は、この時、交通事故という不遇な体験におとされた影とは打って変わって、彼が絵画にむかうための最大の契機となりつつあった。

※ビーナスベルト現象
日の出、日没の時にみられる大気現象。太陽と反対側の空にみられるピンク色の帯のこと

“太陽が沈む時に夕陽と対象にある空が急に暗くなるのをなんでかと思ってた。でもある時、それが地球のかげだということを知った。”

3. グラデーションの絵画

肝心の展覧会についても話を進めたい。会場である「らうらうじギャラリー」は、昔ながらの日本家屋や茶室の佇まいを残しつつ、展示空間としてリノベーションされたところで、入り口をくぐるとまず中庭へと案内される。庭の奥まったところで靴をぬいで屋内へ入ると、壁一面に本展の目玉となるグラデーション絵画のシリースが待ち受けていた。

 

先ほどの話に続く形になるが、本展で発表されたグラデーション絵画の『Before I Love』という作品群は、90度回転した形で制作されているところに注目していただきたい。これは手首のスナップを固定し、平らな筆を両手で持ちながらグラデーションのストロークを彼自身が何度もスクワットをすることで描かれている。したがって、この手法で作られた絵画群は、全て展示時には絵画自体に90度の傾き(回転)が加えられるのだ。それ故、資料のような水平のグラデーションとしてみて取れるが、そこには、石原自身が一般的な重力をもった天と地の関係性から、絵画のあらたな境地を見据えているよう映らなくもない。

また、『Before I Love』とは、彼が制作の際に聞いていたという海外アーティストのFennesの『Before I Leave』という音源に起因するらしいことも補足しておく。

「ビフォーアイ”リーブ”」という発音の語尾を”ラブ”と思っていた彼は本展開催寸前までそのミスリードに気がつかなかったというが、あえてこのささいな間違いを間違いとせず、『Before I Love』という響きを採用するところに、筆者は石原の愛(love)のある眼差しを感じずにはいられなかった。前回の連載でも取り上げた谷にも言えたことだが、この母性愛的な作家性は石原にも見て取れる。ともすれば、現代の作家像に象徴的なものとして立ち現れてきているのかもしれない。

 

昨今、京都で活発化している、アートフェアなどは旧来的な形容ではあるが、いわゆる男性性の強い市場主義的体勢だろう。その中でも、石原を含め、母性愛を前面につよく押し出している作家がシーンの中心に小数名でも位置しているのは、美術界の多様なあり方を見せていく意味でも意義深いものとなっている。振り返ってみれば、この業界はずっとそのような側面が強かったはずである。80年代頃にみられた“超少女”世代の作家でさえも、そこには「少女とは到底思えない」という含意をもったものだった。現代においても、ザハ・ハディッド氏の東京五輪スタジアムのアンビルドという状況や愛知トリエンナーレの参加作家の性別的内訳をめぐる議論を眺めていても顕現するようである。しかし、こういった流れを踏まえた平成世代の若者に、ひとつの転換期が訪れてきているのだとするのならば、それは、高度経済成長期的な追いつけ追い越せの「競争」ではない、もうひとつの“共創”社会への展望だろう。故に、石原がビーナスベルト(母なる地球の陰)を眺めて感動したことも、単なる偶然ではないのかもしれない。

 

そんなことを考えながら、素足で木の継ぎ目を意識じながら会場を奥に進んでいくと、茶室にたどり着く。本展覧会では、この茶室にあるさまざまな常設物(須恵器からフランス製のアンティークシェルフなど)と石原の作品が緊張感をもちながら、時代を超えて呼応するようであった。

“どこかで区切りをつけてものを眺める時、グラデーションのようになっていて欲しいと思ったんです。(中略)グラデーションとは言い得て妙で、壁と切り離せない、壁画でもないどこまでもどんな場所でも広げられる。(中略)そんな時、僕はどこか地動説と天動説の両方を信じてる自分がいるなと思うんです。太陽があがったりするのって、地球が自転しているからなのに、僕らにはやっぱりそれが太陽があがったりさがったりするようにも見える。”

絵画における天と地の関係をグラデーションのみの表現によって描く今回の作品群では、絵画空間の普遍的価値の再確認とその拡張が同時に実践されていたのではないだろうか。午後の斜陽が格子を透かして絵画に差し掛かるとき、それは絵画が空間全体へと浸透していくような広がりをみせた。このような石原の作品や一連の言葉からは、過去・現在・未来といった大きな時の流れの中で、束の間と永遠の両義に揺さぶられつつ絵画に取り組むことへの確かな覚悟を感じるものとなっていた。

INFORMATION

会期

2019年10月26日 (土)~ 11月10日(日)

11:00~17:00

OPEN:金・土・日・祝日

会場

らうらうじギャラリー

 

〒611-0021

京都府宇治市宇治東内10

出展作家

石原梓 / ISHIHARA azusa

公式サイト

http://raurauji.jp/exhibition/

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