春を待つ2人
HoSoVoSo

2019.05.28

峯 大貴峯 大貴

何かの欲望を満たすためではなく、自身の業(=理性によって制御できない心の働き)として歌を歌っている。三重県桑名市出身のシンガー・ソングライターHoSoVoSoを見ているといつもそんな〈歌の業〉を嬉々として背負っている様子が伺えるんだ。だから彼の歌はまぶしくて、悲喜交々に溢れ、美しい。最近では桑名から名古屋に移住してさらにライヴ本数も増やし、東海地方を中心にライヴハウスから居酒屋、バーに名古屋テレビ塔のふもとまで、一たび自分の歌を聴きたいと呼ばれればひょひょいと足を運んで歌う。またライヴ会場では『言い値CD』なる作品を販売し、未発表曲やライヴ音源をお品書きから自由に選ぶと、後日HoSoVoSoから世界で1枚だけのCDが送られてくるなど、その場にいる一人一人と歌で密に繋がってきた。そのスタンスには、これが最も自分の歌が広がっていく最速最良の方法だと戦略的に自負しているようなしたたかさも感じられる。
 
本作は『街』(2014年)、『春が過ぎたら』(2017年)という2枚の宅録ミニアルバムを経て、ゲストミュージシャンも迎えた初スタジオ録音、初全国流通となる10曲入りのフルアルバムだ。生活の一場面を描いた情景描写やソフトタッチな歌声には2人組時代のオフコースや、初期の星野源ソロ作品。ささやかな毒っ気と軽妙さには高田渡。親しみやすいメロディなのに登場人物の影の部分にハッとさせられる仕掛けにはハンバートハンバート。そんな日本のシンガー・ソングライターの歴史に名を連ねるような歌はバンド録音によってさらに輝きを増す。そこに加えて本作では全体の物語の構成力と、アレンジや言葉選びに表れる遊び心が随所に感じられ、音楽家としての才覚の芽吹きが見える作品になっている。

「猿真似もできないみたいですね」M3“山を越える”、「身体でも売るつもりらしい」M6“白い粉”、「弛けた顔も元に戻らない」M4“春が過ぎたら”など歌詞表現には偏屈さ、冷徹さ、ささくれ立った棘を秘め、登場人物からは一定の距離を取りながら深層心理を射貫いていく。ひと際ポップなキラーチューンM2“ストーク”や、別れのバラードでありながら桑名の山々の情景が浮かび上がるM8“峠”も含め、これまでの楽曲にはブラッシュアップされたアレンジが施されている。一方で新曲M7“ランディブラウン”はヴァイオリンが印象的なスイート・ポップスだが後半に向けてどんどん拍子をずらして惑わせる仕掛けが新鮮だ。多彩なアプローチやストーリーが散りばめられているが、冒頭のギター弾き語りと後半にバンドver.が収録されたM1,M9“春を待つ2人”が作品全体に一本筋を通している構成も面白い。登場人物が終わりと始まりの季節である春に浮き足立っている様を、優しいメロディに乗せて飄々と描写していくような語り口にどんどん引き込まれていく。
 
その中でも異色と言えるのが、Suchmosを目指したというシンセとエレキギター主体の大胆なアレンジのM5“city pop”。結果的には、敬愛する小田和正の“ラブストーリーは突然に”に着地してしまうところには彼のポップ・ラヴァーな一面が伺えるが、なにより「原辰徳の兄」「まるで茂陵のよう」といったフレーズがイビツな響きを残す。語呂重視で意味はないとのことだが、皮肉めいたタイトルも含めてところどころに聞き捨てならない毒牙が仕込まれているのも本作の深みになっている。

 

しかし本作が単なる美しいポップ・ソング集に留まらないのは、引き潮のように最後に収められている弾き語りM10“むかしぼくはまともだった”の存在がある。冒頭は当たり前の幸せを求める女の心情を、後半は当たり前の幸せが幸せとは思えない男の心情が吐露される。構図だけ取り上げれば現代版の“木綿のハンカチーフ”とも言えるような男女の別離の歌。またタイトルを見ればハンバートハンバート2014年作のアルバムタイトル『むかしぼくはみじめだった』や、さらに遡り友部正人の楽曲“はじめぼくはひとりだった”から引き継ぐフォークの遺伝子も見えるだろう。だが特筆すべきはこの曲だけは登場人物がHoSoVoSo自身なのだ。男が「邪魔するなら帰っておくれよ」と放つその語気には、やることが見つからない人に対する哀れみと怒りが込められているし、「歌いたいときに歌いたい人と歌いたい」と〈歌の業〉を果たしていく宣言と取れる言葉が並んでいる。自分の気持ちをこれでもかと表に出した、一つ殻を破るようなアプローチを示してアルバムは幕を閉じるのだ。

 

全国に向けて歌を届けに行く足がかりとして、春が描かれた本作。もう間もなく春が過ぎたら夏の日、そして秋の気配がしてきて、めぐる季節。しかしHoSoVoSoの歌は四季を超えて、いずれメインストリートをつっ走るのだろう。

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