COLUMN

ブンガクの小窓 第十五章 -パトス-

2017.11.25

ケガニケガニ

どういうときに使うか

今回は久しぶりに、読者の方からリクエストをいただいた語を解説してみたい。
一世を風靡したアニメ、『エヴァンゲリオン』の主題歌、“残酷な天使のテーゼ”のサビには、「残酷な天使のテーゼ 窓辺からやがて飛び立つ/ほとばしる熱いパトスで 思い出を裏切るなら/この宇宙(そら)を抱いて輝く 少年よ神話になれ 」とある。大ヒットした曲のサビにしてはなかなか難解な歌詞であると思う。なかでも、この「パトス」という語は「少年」が「思い出を裏切」り、「神話になる」ための要因とされているにもかかわらず、その意味をはっきりと言える人はいないのではないだろうか。ぼんやりと情熱、くらいの意味でとらえているという人は多そうだ。

また、文学や舞台の悲しい場面について、「ペーソス」がうんぬん、と批評されたりもする。これはパトスの英語読みであって、本来は同じ意味のはずだ。だが、日本語ではパトスが情熱的な感情、ペーソスがドライな悲しみを指す、といった使い分けがあるようだ。かくいう筆者も、何かの折にわが人格を評して「泥くさいペーソス」を感じると言われたことがあって、この語には謎の愛着がある。

激情と理性

さて、この「パトス」、ギリシャ語の原語では「pathos」と書き、理性(「ロゴス」という)や習慣(「エトス」という)では抑えきれない感情を表した。したがって、原義から考えればネガティブなニュアンスはとくになく、「感激」や「激怒」のどちらも表すことができるし、恋愛感情や憎悪の念もこれに含めることができよう。抑えきれないといったが、さらにもとをたどれば、「pascho(動作を受けること)」という動詞から来ていて、人間に突如外からやってくるものというニュアンスをはらんでいる。同族の語として「passion」があるが、一方で「情熱」と訳すこともできるし、他方でキリストの十字架の「受難」もこの語で表すことができるのはそのせいだ。

 

ギリシャ時代において精神は、呼吸する息と同じように考えられていた。そのために、現代では無意識やトラウマ、人格が原因として説明されるような感情も、ある意味で外から吹き込まれるようなイメージがあったのだ。理性をかき乱す侵入者のようなイメージだと言えるかもしれない。

 

このことを利用して相手を説得する議論はいかにあるべきかを説いたのが、アリストテレス『弁論術』だ。アリストテレスによれば、このパトス、エトス、ロゴスはそれぞれ効果的な説得の要素をなすという。たとえば現代でも、営業先の相手を説得するときにもしかすると使える技術かもしれない。たしかに、これ素晴らしいんですよ、と半泣きで迫られたらなんとなく説得されてしまうような気もする。

 

弁論術

神話となるパトス

以上みてきたように、「パトス」という語は人間の制御できないまでに激しい感情を表していた。エヴァンゲリオンの歌詞にあるように、こうした感情はギリシャ時代において、神々の名としてたびたび神話に登場していた。ピロテース(愛欲)、オイジュス(苦悩)、アーテー(狂気)など。神々は互いに争いながらも、人間らしい葛藤のドラマを繰り広げていた。

元の歌詞はというと、おそらく主人公の「少年」碇シンジが、思春期の抑えきれない感情を爆発させることによって、「思い出」すなわちそれまでの秩序をすっかり変えてしまい、世界の終わりや再生に深くかかわっていくというストーリーをシンプルに表現したものだ、ということがわかってくる。エヴァンゲリオンの世界を包む神話的、宗教的な雰囲気をこれ以上ないほどうまく歌詞に落とし込んだものだと言えるだろう。

 

筆者はといえば、このコラムを書きながら、夜食を食べたい、しかし食べては太る、食べられない健康状態が憎い、という抑えがたい激情に支配されつつあるが、果たしてパトスに打ち克つことができるのだろうか。どちらにせよ、このパトスは神話にはならないだろうけれど。

GOODS

トップへ