COLUMN

ブンガクの小窓 第七章 -刹那-

2017.03.14

ケガニケガニ

 


今回の言葉は「刹那」。(リクエストいただき、ありがとうございます)

なんとなく殺伐とした感じの字面だけれど、意外にこれまでのブンガク語に比べて使いやすい言葉でもあります。

第七章、刹那の意味をばしっと答えてみましょう。

 

 

 

どういうときに使うか

 

 

ぼちぼち桜の季節である。

桜ソングと言えば、ヒット曲が多いことで知られているが、その中でも森山直太朗さんの「さくら」を好きな人は多いんじゃないだろうか。リズムと詞が童謡のようにしっかりしているので歌いやすく、カラオケの定番曲でもある。

 

そんな「さくら」の歌詞で印象的なのが、「さくらさくら今咲き誇る 刹那に散りゆく運命(さだめ)と知って」という部分。学生時代がもう終わってしまう「僕ら」は、別々の道へ進むことを知りながら晴れやかな春の日を過ごしている。このことが、もうすぐ散ってしまう運命を知っている桜にたとえられているのだ。ここで「刹那に」は「すぐに」と言い換えられるだろう。

 

 

 

筆者がこの言葉に出会ったのは江國香織の小説だった。たしか高校生の時に読んだ『きらきらひかる』だったと思う。ある登場人物を形容して「セツナ的」という表現が出てきて、なんとなく軽蔑のニュアンスのこもった言葉だなと理解していた。

 

この言葉、いっときよく用いられたようで、バブル前後の時代の小説ではよく見かけた。それもそのはず、「セツナ的」とはその時その時の「今を生きて未来を考えない」ということを意味している。ここから転じて直情的とか、気まぐれ、という意味で使われたりもする。バブル時代の都市部では「今楽しけりゃいいじゃん」という価値観が席巻していた。あくせく働いて貯金するよりも、パーッと散在して今を楽しもう、同じアホなら踊らにゃ損損、というわけである。

 

だから、刹那という言葉を使うときはこうしたマイナスのニュアンスがこもってしまわないか、と個人的に用心していた。音としては「せつない」と近いけれど、ちょっと取り扱いの難しい語として覚えていた。

 

さて、実はこの「刹那」自身は「一瞬」という意味である。

同じ二文字なら一瞬でええやんけという声が聞こえてきそうだが、そういうわけにはいかない。このコラム初登場の仏教用語なのだ。

 

 

 

『大毘婆沙論』の刹那

 

 

この語は仏教の中で「もっとも短い時間」を意味する。おなじみ『西遊記』に出てくるお坊さんのモデル、玄奘三蔵が中国語に翻訳した仏教の注釈書、『阿毘達磨大毘婆沙論』の中に説明されている。その記述によると、「2人の成人男子が絹糸を引き合い、3人目がよく切れる刀で一気に切断する時間」の長さがなんと「64刹那」だという。えっ、短い!

 

 

 

 

つまり、糸が切れる「ぷつん」というあの時間を64分割した時間こそが刹那の意味となる。ほかにも一日の長さを分割して計算し、「75分の1秒」であるという説明もあるが、ともかく「極めて短い時間」であることに変わりはない。

 

ちなみにインド仏教の高僧、龍樹 (ナーガールジュナ) はこうして計測できる長さであるという考えを否定している。彼はいわば人間に捉えられない最小の時間として刹那を考えていたのだ。龍樹の入門として手に入りやすいのはこの瓜生津 隆真の一冊。

 

龍樹(ナーガールジュナ)―空の論理と菩薩の道

 

 

そしてこの刹那という語、元のサンスクリット語での音は「クシャナ」である。もしかするとスタジオジブリの代表作、『ナウシカ』の登場人物であるトルメキアの「白い魔女」、クシャナの名はここから取られたのかもしれない。彼女は享楽的で帝国主義的な文明大国トルメキアの最高指揮官だから、このネーミング説にも頷けるところがある。

 

 

 

刹那的、はネガティブな言葉か

 

 

仏教の中には、人間の意識はこの「一刹那」の間に何度も生成消滅を繰り返しているという考え方もある。人間の内面について、意志や性格は確固たるもののように見えるが、本来は生々流転の中にあってつねに移り変わっていくものだということを示している。悠久の時間の中では人間の内面の変化などちっぽけで取るに足りないものなのだ。

 

冒頭で述べた、「セツナ的」はどちらかというとネガティブな意味だった。ころころと気が変わりやすく、ついていくのが大変だということだ。だが「刹那」といえば、自分の感情の移り変わりを見ると実際は人間の心が仏教の教えのように「はかない」ものであるというニュアンスなのだ。

 

このように自分の感情に左右されながら一生を終える人間のちっぽけさを、糸が切れるよりも短い時間を表す「刹那」という一語で表現するなんて、仏教は粋なところがあるじゃありませんか。この言葉、使いにくいと思っていたけれど、なんとなくこれからはうまくやって行けそうである。

 

 

 

今回のブンガク語、「刹那」の意味を知っていたでしょうか。

たくさんある悩み事も、刹那に浮かんでは消える人間の意識の一側面にすぎないと考えれば、少しは楽になるかもしれません。思い悩む友人に、実は仏教用語で絹糸をね、と話してみましょう。

 

 

Illust by たかいし

 

 

 

今までのブンガク語

 

第一回:不条理

https://kyoto-antenna.com/column/bungaku_vol1/

第二回:実存

https://kyoto-antenna.com/column/bungaku_vol2/

第三回:虚構

https://kyoto-antenna.com/column/bungaku_vol3/

第四回:ルサンチマン

https://kyoto-antenna.com/column/bungaku_vol4/

第五回:ユートピア

https://kyoto-antenna.com/column/bungaku_vol5/

第六回:アイデンティティ

https://kyoto-antenna.com/column/bungaku_vol6/

 

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