COLUMN

ブンガクの小窓 第四章 -ルサンチマン-

2016.12.15

ケガニケガニ

 

 

今回の「ブンガク語」は、「ルサンチマン」。

妙にリズムがいいこの言葉、そのせいか歌詞にもよく使われる。

でも本来どういう意味かを知っていますか?

言葉の大事なところだけ、ざっくり簡単にお伝えいたします。

 

 

 

どういうときに使うか

 

結論から言ってしまおう。ルサンチマンとは、フランス語で「うらみ、つらみ」のことである。

 

 

だからたとえば、

「恋のルサンチマン」

とか、

「ルサンチマンによる人格攻撃」

みたいにネガティブな文脈で使われる。

 

 

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昨今の用法だと、ネットにおける匿名の誹謗中傷だとか、あるいは、ヘイトスピーチなどのある種の排外主義がルサンチマン的だと批判されたりする。

有名人の不用意な発言に対して、ルサンチマンに基づく罵詈雑言が浴びせられ、「炎上」したりすることもしばしばある。

ルサンチマン的だというのは、単に間違ってるよ、とか、好きではないんだ、と主張しているわけではなく、なんだあいつばっかり良い目見やがって、という反動的かつ否定的な感情に基づいている、という意味だ。

たしかに、みっともない。だが、そういう心の弱さみたいなものは誰しもある。自分より強い立場の人をうらやみつつも、一方で反感を持ってしまうという経験がない人はいないだろう。
ルサンチマンは公の場で表現されるべきではないだろうが、誰もが内に抱えている感情なのだ。

 

 

さて、このように、日本語で「うらみ、つらみ」と言い換えるととても身近な言葉に思える。

だったら、うらみつらみとそのまま書けばいいじゃない、と思う人もいるだろう。

だが、やっぱりこの語も、それが使われるようになった特別な文脈があるのだ。

 

 

 

ニーチェのルサンチマン

 

19世紀の哲学者、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、「生きることの喜び」に対する反動としてルサンチマンを考えた。

彼の時代に道徳の基礎をなしていた、「キリスト教」は、結局は思うがままに楽しく生きることを否定して、罪人であるという自覚へと至るべし、と教えていた。

もちろんこれにはわけがあって、いったん罪人であると認めなければ、思うままに生きる人同士がぶつかったときにその衝突を抑えられないからだ。

みんなが罪人だとしたら多少衝突しても、みんな悪いんだから (神の前で) 謙虚になろうよ、という抑制ができるのだ。

 

 

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逆に、何も考えないで楽しく生きようよ、というお気楽思考は許されないことになる。

だが、これがニーチェは気に入らなかった。

結局それは神の権威の前にひざまずく、「奴隷の道徳」にすぎない。

奴隷たちが自分たちの首を絞めて、生きることへのうらみつらみ=ルサンチマンを道徳にしているのだ。

 


むしろ、他人とぶつかることをはじめから避けるのではなく、人間がこの世に暮らしていることを肯定して、力強く生きていこうじゃないか、と彼は説いたのだ。(これがいわゆる有名な「力への意志」というやつだ)。

こうしたことが書かれているのが『善悪の彼岸』という本だ。

 

 

善悪の彼岸

 

 

ニーチェはそうやって力強く生きる英雄的な「超人」になるべし、と述べていろんな思想家に影響を与えてきた。

 

 

 

ルサンチマンは仕方ない?

 

ニーチェのいうルサンチマンはキリスト教に限った話ではない。

上で例にあげた、恋愛やネットや政治についても当てはまるのではないか。

簡単に言うと、ニーチェの言っていたこととは、「ルサンチマンで生きていても、それは結局自分より強い立場の主張への反動にすぎないのだから、自分の人生を生きているということにならないんじゃないの」、ということになる。

 

 

ルサンチマンはみんな心のうちに抱えている、と上で述べた。

だが、うらみつらみばかりが支配する社会なんて想像したくもない。

どちらかといえばみんな楽しく生きたいのではないか。

だったらできるだけルサンチマンの思考に陥らないようにしましょうよ。

あなたが今書いたネット記事、それは本当にルサンチマンでないと言い切れますか?

ネット炎上、ダメ、ゼッタイ。

 

 

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ということでよく使われる割にあんまり意味を知らない言葉、ルサンチマン。

とかく気持ちの沈みがちな冬ですが、できるだけルサンチマンに陥らず、年末年始の楽しい行事のことを考えながら気合いで乗り切りましょう。

 

 

 

Illust by たかいし

 

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