Live House nano

 

京都市内には所せましと沢山のライブハウスが存在しています。その中でも異色の存在であるのがここLive House nano。キャパは約80人、大所帯のバンドや機材の多いバンドではステージに乗り切らないのでは……?と心配になるぐらいこじんまりとしたライブハウスです。しかし、これまでにもクリープハイプ・SEBASTIAN X・オワリカラなど名だたるアーティストたちがnanoをフェイバリットな場所として公言しており、京都内外問わず多くのアーティストにとって特別なライブハウスとなっています。

 

 

アーティストにとって愛される場所であることはもちろん、お客さんにとっても居心地の良い場所です。フロアを完全分煙にしたり、入口からステージまでフラットにすることでバリアフリー化もなされているなど、ライブハウスらしからぬ配慮が随所に見られます。なにより居心地を良くしているのは、出演者・お客さん関わらずニコニコ気さくに声をかけてくれるオーナーまぁこさんの存在でしょう。

 

 

nanoはオープンから13年間ずっと、オーナーのまぁこさんと店長の土龍さんが二人三脚で運営してきました。人の入れ替わりが流動的なライブハウスという現場で、長年かけて作り上げたステージはもはや二人の歴史とも言えるはず。だからこそ、愛を寄せるアーティスト・お客さんがたくさんいるのです。nanoに行くなら、音楽への愛に溢れた夜が約束されています。

 

 

INFORMATION

 

【住所】604-0041 京都市中京区押小路通西洞院東入ル二条西洞院町632-3

【定休日】不定休

【営業時間】イベントによる

【電話番号】 075-254-1930

【HP】http://livehouse-nano.com/

 

 

 

 

【土龍編】

 

「好きにやっていいよ」って、まぁこおばちゃんは全部預けてくれた

 

 

 

――nanoを始めた経緯を教えてください。

 

 

まぁこおばちゃんに誘われて。当時大学8年生で焼き鳥屋でほぼフルで働いていて、そのまま焼き鳥屋の社員になるのも悪くないなと漠然と思っていたりしたときだね。でもバンドもやってたしボロフェスタにも携わっていたから、焼き鳥屋の店長には「お前はやりたいことが他にあるんちゃう?」って言われていた。そんなタイミングで、知り合いだったまぁこおばちゃんが「ライブハウス作るねん。11月にオープンやねん。工事ほぼ終わってんねん」みたいな話を持ちかけてくれて、二つ返事でやるよって答えた。できることなら音楽に携わって生きていきたいなって思ってはいたけども、なんとなく自分がミュージシャンになって食っていくぞ!っていうビジョンは持っていなかったしね。

 

 

――それは何故ですか?

 

 

裏方の味を知ってしまっていたからかな。ボロフェスタ以外にもイベントのMCとかしていたし、「もしかしたら出演するよりも目立てるんじゃないの?」ってちょっと思ってた。だからまぁこおばちゃんからnanoの話が出た時も「え?!ライブハウス仕切れるの?!」って追い風が吹いてるなって思った。それで焼き鳥屋の店長に「就職決まりました」つって (笑) 。そこから焼き鳥屋の引き継ぎとか諸々を終わらせて 2004年3月からnanoの店長に就任しました。当たり前のことなんだけどちゃんと「いろいろ引き継ぎとかあるので3月まで待ってください。」って俺がお願いしたのを聞いて、「ちゃんと自分の仕事に責任もって取り組んでくれる人なんやな」ってまあこおばちゃんに信頼して貰えたみたい。

 

 

――じゃあもともと2003年11月オープン予定だったのを、土龍さんを待って2004年3月にオープンをずらしたということでしょうか?

 

 

いやいや、それがまぁこおばちゃん11月にオープンしてんねん! (笑)

 

 

――その間どうやってお店を回していたんですか?

 

 

俺も焼き鳥屋が休みの日にちょくちょく手伝ったり、知り合いのバンドに声かけて出演してもらってたりプレオープン的な手伝いはしていたんだけど。そもそもまぁこおばちゃんは「どうやらPAって人が必要らしいねぇ」ぐらいのレベルやったからね、最初どうやってたんだろう……。

 

 

――まぁこさんはどういった形でボロフェスタに携わっていたんでしょうか?

 

 

まぁこおばちゃんは加藤さん (ロボピッチャー / SCRAP代表 / ボロフェスタ立ち上げメンバー) の叔母さんなんだよ。もともとお祭りごとが好きな人だったんだけど、ボロフェスタやるぞ!ってなったときに加藤さんから「うちの親戚にうってつけの人がおるぞ」という話になりまして。それで屋台をまぁこおばちゃんに出してもらって、そのときのフードまわりの担当が俺だった訳。それで連絡を取り合うように。

 

 

――土龍さんの現在のnanoでの肩書は「店長」という立場になるんでしょうか。

 

 

書類上ではそうだね。でも一回何の気なしに「俺は雇われ店長やからな~」って言ったら「そんなつもりでやってない!」ってお客さんもいる前で怒られたことはある。始めたときから「好きにやってくれたらいいから」っていうのは言われていて、全部俺に預けてくれているんだなっていう信頼はずっと感じているね。

 

 

――お互い音楽の話や、その日のライブについて話合ったりはするんですか。

 

 

するね。良いものに対する感覚、例えば「今日あの子たちのライブなんかめっちゃよかったね」とか「何が悪いのかわからんけど、今日はいまいちやったね」みたいなところは本当に俺と一緒。もちろんまぁこおばちゃんは俺より受け皿が広いし、俺のほうがもっとピンポイントでどうこう言えるけど。感覚的な一致っていうのは、もう昔っからだね。

 

 

 

「音楽を演奏する」とは、お前らにとってどういうことなのか?

 

 

 

――土龍さんはnanoを始める前にPAとか音響のライブハウススタッフとしての経験はあったんでしょうか。

 

 

いや、学生時代のサークルでちょっと触ってたぐらい。俺らがメインでサークルを仕切っていた時代が97年ぐらいだけど、そのときもうデジ卓だったんだよな。でもズブの素人がEQの波形なんか見ても何もわからないし、ただなんとなく触ってただけ。

 

 

――nanoを始めることになって、特別な勉強などはされたんですか。

 

 

「PA初心者講座」みたいなうっすい本とかは読んだけど…習うより慣れろって感じで最初は出演者に聞いてたよ。あと、乗り込みのPAさんとかマネージャーさんがついてるバンドのときは、その人たちの指示とか仕事を必死に見てた。本当にゼロからのスタートだったから、逆に毎日絶対「音が良くなっている!」っていう実感があって面白かったなぁ。だからあまり音響面については苦労したって気持ちはない。苦労してたんだろうけど、それより日々日々得る喜びの方が大きかったね。ブッキングとか、対バンドマンっていう面の方が苦労したかも。

 

 

――人とのネットワークですね。どのように広げていったんでしょうか。

 

 

広げていったというか、まぁ自然と広がってはいったよね (笑)。当時はもうインターネットが普及していて、バンド掲示板に「音源聞いてください!」みたいな書き込みがあった。なのでそれを聞いて、好きだったら「好きっす!」ってメールして。シゼンカイノオキテなんかまさにそうやってこっちからアプローチしていったなぁ。

 

 

――ブッキングに対するこだわりなどはありましたか。

 

 

新しくできたハコだからこそ、「他のハコでバンバン出てるようなバンドばっか誘っても面白くないなー」とは思ってた。意地になってたんだろうね。そもそもnanoはコンプレックスから始まっていて。キャパもちっちゃい、PAも素人、システムも揃ってない、ブッキングもこれから……nanoを「ライブハウス」って呼べる場所にしていくためにできることって、新しく出てきたバンドたちに愛情を注いで一緒に歩んでいくことなんだって考えていた。始めたころのブッキングはそういう気持ちでやっていた。

 

 

――nanoの特徴はただライブをするだけの場所じゃなくて、バンドも一緒に成長していける場所であるということなんですね。今もスタンスとしては最初の頃とは変わらないでしょうか。

 

 

そうだね。でも10年以上経ってちょっと変わってきたかな?今も一緒に成長していくって点は変わらないけど、コンプレックスは無くなってきたからか、出たてのバンドを見る目は鋭くなってきた。「お前にとって音楽を演奏するということはどういうことなのか?」っていうのを演者に求めている。そこは他のライブハウスのブッキングに比べても、うちが圧倒的に重きを置いていると自負しているよね。それが結果、かっこいい奴としか繋がらないよ!っていうウリにもなっている。

 

 

――この記事を見たらnanoに出ている若者たちは自信が持てるでしょうね。

 

 

まあ、それかより一層近寄りがたくなるか (笑)。最近の若い子って完成してからnanoに来るんだよね。他のライブハウスに一通り出た後にnanoに来て「めっちゃええやん!今まで何してたん!」「いやー、なかなか自信なくて……」みたいな。で、その頃にはもう大学4年生で就職決まってます……馬鹿野郎か!でも初めて出たバンドマンたちが「めっちゃよかったです。また出たいです」って言ってくれる度に、これまで自分がやってきたやり方で正しかったんだなって思えるから嬉しい。自分がやったことがちゃんと返ってきて確認できる瞬間がある。

 

 

――バンドマンへの接し方として気を使っていることはありますか。

 

 

うーん、リハの時の伝え方かな。中音を調整させたいときに、いかにそいつのテンションは下げさせずにうまく調整させるか……みたいな (笑)。例えば、 普通に「中音あげてもらっていい?」って言えば済むだけの話なのに、「もっと馬鹿になれよ!(=音大きくしろ!)」みたいな言い方をする。でもテンションあがるでしょ?そっちの方が (笑)!

 

 

――さきほど土龍さんは「バンドマンからのレスポンスで自分のやってきたことを確認できる」って仰ってましたけど、バンドマンにとっても一緒なんですよね。リハでのやり取りが演者にとっても確認の場になる。「あ、これでいいんだな」っていう。

 

 

そうかもしれないね。

 

 

――これからnanoをどういう場所にしていきたいですか。

 

 

お客さんにとって「いろんなライブハウスがあるけど、このバンドはnanoで観たい!」って思って貰えるようなハコになればいいな。そういうバンドをnanoで増やしていきたい。そのためにはミュージシャンがnanoに絶対的な信頼を置いてくれるような関係性を創らないといけないと思っている。そうなれば、「ライブ見るならnanoでしょ!ちょっと狭いけどさ、それがまた良いんだよ」ってなっていくと思うし。それで音楽が一層カッコよく見えるハコに出来れば、初めて見るバンドでも「カッコよかった!CD買おう!」って次へ繋がっていく。nanoでやっているバンドなら、土龍が推しているバンドなら間違いないって思わせる影響力を培っていきたいな。

 

 

 

 

 

【杉浦真佐子編】

 

38歳まで生きられないって言われて、やりたいことを全部やろうって思った

 

 

 

――アンテナが京都の媒体として発信していくにあたって、まぁこさんのことを取り上げたいとずっと思っていました。一般的なイメージで言えばまぁこさんのような年齢層の方はライブハウスとは縁遠いかと思うのですが、何故nanoを始めようと思ったんでしょうか?

 

 

私、昔からすごく虚弱体質で、どのお医者さんに診てもらっても30歳まで持つかなって言われてたの。ある日河原町を歩いていたら、易者さんに「お代もいらないんで見させて下さい」って呼び止められて。そしたら「普通の人間が考えないようなことを考える人で、それは全部プラスになるけども、38歳までしか生きられない」って言われたの。で、そのあとも2回違う易者さんに声をかけられて、全員「短命」「38歳まで」って口を揃えていうのよ。それで「38歳まで人一倍、やりたいこと全部やって死のう」って思った。

 

 

――すごい話ですね。

 

 

それでも38歳になる誕生日に、一晩中怖くて眠れなくて……でも、真夜中過ぎて空が白けても生きてるし、きっとこれは「死ぬ気でなんかせぇ!」って言われてるのかなって。だから誕生日の次の日に、今までずっとやりたくてもやってなかった3つのことをしに行ったの。そしたらその日を境に元気になったのよ。もともと肺が普通の成人女性の半分くらいしかなかったし、胃も2/3しかないし内臓全部がちいさいのよ。長生きできないって言われてた私だったけど、これからは人の喜ぶことをしようって外側にエネルギーを向けられるようになった。

 

 

――それでライブハウスを始めようと思ったんですか?

 

 

最初は私、下宿屋さんをやりたかったのよ。京都の母親になりたかったんよね、お料理して洗濯して……。そのために一生懸命お金も貯めてたんだけど、息子が大学生になって「おかんが言うてるような下宿屋は無理やで。ご飯ができたよって言っても、大学生はみんなアルバイトしたり遊んだりで誰も部屋にいーひんと思うわ」って言うのよ。下宿屋さん、できないのか……と思ってた時に甥の加藤隆生がバンドを始めてライブハウスに出るようになったの。うち親戚が仲良くて隆生がライブするっていうと、10人くらいでどーっと見に行くのよ。

 

 

――すごく素敵なご家族ですね……!

 

 

そうそう。みんな遊ぶのが好きで、SCRAPで隆生がやってる脱出ゲームも、初めは私たちが実際に遊んでたゲームやからね。

 

 

――そうなんですか!?

 

 

お正月の行事で、京都中走り回って謎解きや宝探しをするゲームがあったのよ。

 

 

 

「日本で一番小さいけどあそこの音は素晴らしいな」って言うてもらえるライブハウスを作りたかった

 

 

 

そんな仲良い親戚やから、ライブハウスにもみんなで顔出しに行って、それで……私のターニングポイントが来るの。私、音のことはわからないけど行った先のライブハウスが汚くて「ここでお金取るのは失礼」って思ったのよ!ごめんなさいね。シートはボロボロだし、木の椅子は割れてるし、トイレは汚いし……。でも本当にそう思って「そんなに偉そうに言うんやったら、自分で綺麗なライブハウスを作ろう」って、フッと思ったのよ。

 

早速土地を探しに京都中を歩いた。でもこんなおばさんがライブハウスをしたいって言っても、取り合ってくれる人が一人もいないのよね。大きな借金も抱えるつもりのことも話して、「頭金は少ないけどお金も借りられる算段はしてるし、だからアクセスは良くてある程度の土地がいい」っていう条件出しても誰も取り合ってくれない。予算が少ないからっていうのはわかるけど「まぁこのへんやろ?」みたいな感じで真剣味が全然ないの。ほんとに駐車スペースもない鍵のような袋小路のとこの突き当りやったりとか。

 

 

――それは、なかなか人が来れないような場所ですね。

 

 

そうでしょ?それで1年8か月探し続けて出会った不動産屋の担当の男の子がすごーくいい子で、ものすごく一生懸命探してくれたの。すごく不思議で「何で私の話そんな一生懸命聞いてくれるの?」って聞いたらね、その子軽音部やったのよ。

 

 

――音楽好きの人だったんですね。

 

 

「すごく言ってることわかります」って言ってくれて。でも結局予算もなくて土地もなくて、諦めかけてた時、たまたま実家に帰ったら不動産屋さんのチラシが郵便受けに一枚だけ入ってて。今nanoがある場所の売り出しチラシで、すぐ電話したの。むこうも物件を売り急いでたみたいで、あたしがローン組めるぐらいの値段までまけてもらって……いい出会いがあってここを買うことが出来たの。

 

 

――やっとライブハウスづくりに着手できるわけですね。

 

 

これだけ狭いスペースで一体何を売りに出来るかって、もう「音」しかないと思ったのよ。だからデザイナーの人に「日本で一番小さいライブハウスやけどあそこの音は素晴らしいな」って言うてもらえるライブハウスを作りたいってとにかくお願いしたの。そしたらすごく研究してくれはって。

 

音っていうのはやっぱり広がりがあって、空間が大きくなければいい音が出ないの。他にも騒音防音の問題とか、車いすの人も観に来れるようにしたりとかも考えて。ああでもない、こうでもないって大変だった。やっと完成して隆生に「できた!他に何が必要?」って聞いたらPAが要るって言うのよ。「……PAって何?」みたいな。それで雇ったのが土龍くん。本当はお酒つくる人も必要って言われたんだけど、もう雇えないから私がいそいで勉強したんよ (笑)。これで晴れて私は楽しむだけ!それがnanoを作った経緯かな。

 

 

――nanoはまぁこさんの生き様がそのまま現れているんですね。ライブハウスをいいハコにする何よりの秘訣かもしれません。

 

 

そうでしょ。最初は店さえ作ればあとは丸投げして私は口を出さないって決めてたのに、土龍くんってミュージシャンに言いたいこと我慢できない人やろ?それを聞くのが初めは辛い部分もあって。でも彼は熱い男やから「言ってやらないと相手もわからない」って言うの。でも私の気持ちも理解してくれたんやろうね。そういう子達の為にホールレンタルを始めたの。それならコピーであっても下手くそであっても楽しんでもらえて、「バンドをやってる」っていう自覚も芽生えさせられる。それで音楽を続けてくれる子を増やすような手伝いをするのも仕事やと思うで、って。それから土龍くんも丸くなった (笑)。歳のせいもあるだろうけどね。

 

 

――nanoはやっぱりまぁこさんと土龍さん、二人のものなんだなって強く思いました。まぁこさんはきっちりお仕事も子育てもされて、その上で自分の人生をプラスに向けて……さらにそこから若い子のために何かしようっていうのは本当にエネルギッシュで真似できないですね。

 

 

私も身体が弱くて、色んな人のお世話になってきたから。今の身体からは想像出来ないだろうけど、小学校に自力でかばんを持って行ったことないのよ。それで周りがかばんを持ってくれたり体操袋持ってくれたり、30歳まで生きられへんやろなって言われるのも当然やった。

 

 

――それが今や、大きな音の中で……!

 

 

だから覚えておいてね。自分の為に生きるなんて大それたことは間違いやと思う。人の為に生きる……まぁそれも大それてるか。でもね、人が喜んでくれるって考えたらちょっと無理出来るやん。反対に「おいしいご飯作って待ってるよ」って言ってくれるような誰かがいたら、こっちも会いに行きたくなるでしょ。そういうことよ。人の為が自分に返ってくる。それで今まで頑張ってこれたんやなぁ。nanoはね、私の生きがいとかじゃなくって本当に楽しめる場所。毎晩ワクワクして来るのよ。

 

 

――nanoでライブするとき、いつもステージからまぁこさん見えてますよ。いつも歌っていて、誰よりも楽しんでいますよね。

 

 

楽しそうやろ?ほんまに楽しいねん!

 

 

 

 

 

 

この記事を書いた人

山田 和季
山田 和季
チーフエディター。 (頭が悪いから) 歯に衣着せぬ物言いで、最近は「めたくそライター」の肩書もGETしました。ふざけただらしのない文章を好みます。母の鳴く家というバンドで紅一点ギターを弾いていますが、わりと常にエロいことを考えています。