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Peelander-Zの新メンバー・伊藤顕央とは一体何者なのか?

【INTERVIEW】アメリカの怪物Peelander-Zの新メンバー・伊藤顕央とは一体何者なのか?
 
 
アメリカはニューヨークを拠点に活動している日本人バンド・Peelander-Z(ピーランダーゼット)の存在をあなたは知っているだろうか?彼らは戦隊コスチュームに身を包み、奇想天外なパフォーマンスで全米中の各地のライブハウスをめぐり音楽ファンを虜にしている。世界最大のショーケースSXSWでは期間中10本以上ライブを行うのも当たり前。彼ら見たさに多くの観客と取材記者が詰めかけ、入場規制がかかることもしばしば。アメリカでとても愛されているバンドだ。
 
さてそんなPeelander-Z、最近ではBa.Peelander-RedとDr.Peelander-Greenが脱退し今後の動向に注目を集めていた。そこで飛び込んできたのは新しく日本人メンバーが加入するとのニュース!調べてみるとその日本人メンバーの名前は伊藤顕央。まだ日本にいるとのことで、これはどんな人物かを探るチャンスと思い、今回のインタビューを決行した。
 
 
彼のバンド遍歴、日本でバンド活動することへの考え、そして今後の展望とさまざまなことを聞いてきた。Peelander-Zを知っている人も知らない人も、多くの人、特にバンドマンにはに伊藤の言葉に耳を傾けてもらいたい。あなたの価値観がもしかしたら変わるかもしれない。
 
 

 
 
ーーバンドを始めたのはいつ頃ですか?
 
 
そもそもベースを始めようと思ったのが、大学4年生のときで。ベースを手に持った瞬間、「これは俺、仕事としてやっていける!」と思ったのね。もう全く根拠のない自信が生まれた。それが今となってはこんな夢のような現実が待ってるなんて…続けてみるもんだね(笑)
 
 
ーーまさに直感、だったわけですね。割と遅咲きな印象ですが、大学在学中は軽音学部には所属していなかったのですか?
 
 
軽音楽部には入ってたよ。でも楽器は持たずにすっとメタルバンドのボーカルをやってて。とにかく人の前に立つ事が好きだった・・・ というか信じられないかも知れないけど引っ込み思案で全く幼少の頃の俺からは考えられない人格形成された時代だったね。
 
 
ーーメタル!(笑)。ちょっと想像できるような、できないような……そこからベースを手にするきっかけはなんだったのですか?
 
 
当時やってたメタルバンドのベーシストの持っていたベースがすごくかっこいいなぁと思ってね。「ちょっと弾かせてよ」って触らせてもらったときに、直感を感じたんだ。それからは毎日寝る間を惜しんで10時間以上弾いてたし、とにかく弾く楽しさもあったんだけどそれ以上にこのベースを使って音を奏でてみんなにその音楽を伝えられるワクワク感というか、大げさな言い方になっちゃうかもだけど「音って万国共通で、この楽器1つでどんな場所に居ても世界を変えられる凄いパワーを持ってる!」って思ったんだ。
 
 
ーーそこからベース一筋でこられたわけですね。過去はどれくらいバンドをやられてましたか?
 
 
もう7〜8つはやってたんじゃないかな。ラウドロックもやったし、ポップパンクもやってたな。あとは演奏中にコントが入るようなバンドもやってたよ、ピーランダーほど強烈ではなかったけどね(笑)。とにかく音を紡ぐ事に夢中になったし、アンサンブルを創り上げ音をコントロールする楽しさ。それをリーダーとして引っ張っていく楽しさと責任を毎回楽しんでたよ。ワクワクする事を考えてそれを具像化するプロセスってかなり労力が要るけどその全体を見て創り上げていくのが大好き…というかリーダーというパートがベースを同じくらい天職なのかもね(笑)
 
 
ーー幅広く活動されてきているんですね。そんな学生時代を送ってから上京という流れですか?
 
 
いや、一応2年間ちゃんとスーツ着てサラリーマンしてみた(笑)
というのも22歳からベースをはじめたから「遅咲きコンプレックス」もあったし、輪をかけて周りに沢山凄腕のプレイヤーが居たおかげで悔しさも倍…いや、10倍?、もっとだな。100倍以上だった。何が何でもベーシストとしてのスキルを上げたかったから昼間仕事をして夜はベースの学校でみっちり基礎からアレンジ学まで叩き込む毎日を過ごしたよ。
で、2年で卒業して、晴れてサラリーマンとも卒業(笑)。その後上京という流れだね。
 
 
ーー旗あげてやろう!って事で上京ですね?わかりやすい!(笑)そして、同じ福島県福島市出身の浅野昇建氏とともに、スペース・コンバイン(SPACE COMBINE)を結成されたと。
 
 
そうだね。まず俺が先に上京して、その後浅野が上京してきた。
上京する前はお互いに各々イベントやツアーをしてて、一緒にライブする仲だったし、彼自身のキャラクターに凄く興味もあったしボーカリストというか、エンターテイナーとしての彼にとてもワクワクしていたから「一緒にバンドしよう。」って言われた時は嬉しかったなぁ。
 
 
ーーその後の活躍はマキシマムザホルモンが登場曲でずっと使ってる「マーチング・ミント・フレイバーズ(Marching Mint Flavors)」が収録されたファースト・アルバムの『20000cc』リリースですね?
 
 
うん。結成して半年で先輩バンドの前座で全国ツアーに同行させてもらってそのまま先輩達の所属するレーベルに所属しちゃった。
 
 
ーー当時はどのバンドも過酷なツアースケジュールが売りだった時代でしたね。
 
 
そうだね!俺らも年間200本近くライブしてたし、とにかく有名になりたかったというのもあるけど自分自身が命削って絞り出した「音楽」を聴いて欲しかったし何よりも沢山の人と繋がっていきたかった。
 
 
ーーその成果もあってファースト・アルバムはインディー・レーベル発にもかかわらず、約3万枚のセールスを記録したのは本当にすごいと思います。
 
 
何よりも嬉しい数字だったね。数字は時に残酷だけどそれに目を背けたくなかった。生業としてこうして決めてここまで来たんだしやっぱり数字は追い求めなきゃ。でも正直言えば…この時は予想以上の結果枚数でびっくりした。
 
 
ーーその時もリーダーとして?
 
 
そうだね。スペースコンバインの時が一番大変だったし、人間的に自分を成長させた時期だと思う。
メンバーとは沢山ぶつかったし、沢山の意見を出し合って繋がってきた。4人の他人が集まって、1年の半分以上を一緒に過ごすってなかなかない経験だしね!4つの意見を1つにして、そこにフラッグを立てて進む…その走り出しの「ローギア」の係がリーダーだと思ったよ。こう言うと綺麗だけどとにかく血気盛んな男4人をまとめるのって本当に大変だよ(笑)よく頑張った4年間だったなぁ。
 
 
ーー日本各地のライブハウスツアーもですが、他にも野外フェスやマッドカプセルマーケッツとの大阪IMPホール2マン、海外バンドとの共演などもありましたね?
 
 
野外フェスは本当にひょんな事から出演が決まって、大阪と東京で各会場8000人くらい動員したよ。マッドカプセルマーケッツの時はソールドアウトだったから…びっちり1500人くらいだったかな。勿論、ライブハウスのフロアにびっしりファンが居る事も嬉しいけど、大会場でこれだけの人数の前でプレイする事はエキサイティングだし、何よりもこのバンドを続けて大変だったけどメンバーで1つの目標に向かって走り、牽引してきて良かったなぁとしみじみ実感したね。
 
 
ーーその後spanamで活動をすることになるわけですが。
 
 
バンドがメジャー・レーベルに入るという絶妙なタイミングでの加入だったよ。spanamはスペースコンバイン時代にも一緒にツアーしてた仲だったし、何よりもドープ(Dope)やマッシュルームヘッド(Mushroomhead)の前座も務めたり、その影響もあってかワールドワイドな視野を持ったバンドだった。
 
彼らの音は結成から不変のラウドロックで米国のリスナーからも高い評価を受けてた。”日本のデフトーンズ”と称されるくらいだったから誘われた時は嬉しかったね。
 
 
ーーspanamはボーカルのHATAさんがリーダーですよね?
 
 
HATAがspanamの世界観を守って創り上げる「アーティスト」としてのリーダーで、俺は対外的な「プロモーション」にまつわる事に関してのリーダーという関係だった。
 
この頃のスタッフはメジャーレーベルという事もあって考え方もプロ中のプロだし、鋭い意見も勿論だけどこの先どう展開すればいいかなどのアイディアに長けてるからその意見とspanamサイドの意見をうまくミックスする立場という方が解りやすいね?
 
 
ーーそうですね。その後さらなる野心を抱き約3年という期間で脱退したのはなぜでしょうか。
 
 
残念だったけど、俺の描いている理想郷と彼らの描いている「音楽家」としての理想郷は徐々にずれていった。プライベートでは最高の仲間だったけど年齢も年齢だし突き進めるうちに進んでおかないと…と思って脱退したよ。志半ばでの脱退は後ろ髪引かれる想いだし、何よりも囲まれるスタッフとの関係が最高だったから本当に寂しかった。
 
 
ーー私が伊藤さんを最後に見たのは“カミヒカルス”というバンドに所属していた時ですが、カミヒカルスは歌ものなイメージが強かったです。それまでとはジャンルが少し違うようにも思えますが、加入するきっかけはなんだったのですか?
 
 
俺が前の丁度バンドを辞めたときに、ずっとセッションをしていたドラマーがいて。そのドラマーが「面白いバンドがいるから一緒にオーディション受けてみようよ」って言われたのがきっかけだったかな。
 
 
ーーオーディションでの加入だったとは知りませんでした。
 
 
そうなんだよね。今までやったことのない畑だったし、お客さんの層も未知の領域だったからとても刺激的ではあったかな。新しい世界に踏み込めたような気はしていた。
 
 
ーーカミヒカルスでの活動はどれくらいだったのでしょうか?
 
 
2年くらいかな。やはりspanamと同じく俺はバンドの運営のアイディアを考えたり、プロモーション案を考える立場だったかな。在籍中にピーランダーから誘われたからこれからの自分の人生と旧知の仲のPeelander-Yellowと一緒に夢を叶える為に脱退したよ。カミヒカルスの時も自分が描く戦略もあったし自信もあった。でもピーランダーに誘われた瞬間、今までにない程のもの凄いイマジネーションが湧いて来たし、子供の頃のようなドキドキワクワク感を感じたのは今でもはっきり覚えてるよ。
 
 
ーー今現在よく聞いているバンドとかはいますか?
 
 
バンドかぁ…うーん…
 
 
ーーあんまりバンドの音楽は聴かなくなりましたかね。
 
 
今は小田和正くらいしか思い浮かばない(笑)。
意外とプレイヤーのオフは静かなものなのかもね?
 
 

ピーランダーを見て、したい事をすれば何したっていいんだって思った。

 

ーーそれでは、ピーランダーと出会ったいきさつを教えてもらってもよいですか?
 
 
スペースコンバインの時に知り合いのカメラマンに「今度、渋谷にニューヨークから面白いバンドが来るから観に来なよ」って言われて遊びに行ったのがはじめての出会いだったかな。
 
 
ーーはじめてピーランダーを見たときのことって覚えてます?
 
 
あ、バンドってこれでもいいんだって思った(笑)。
語弊が生まれるかも知れないけど、したい事をすれば何したっていいんだって。
 
 
ーー(笑)
 
 
これでも成立するんだ、って。無限の可能性も感じたよ。こんなバンドありなんだ!って(笑)
バンド形態だったり、ライブの進め方だったり…凄く凝り固まったマインドだったなぁと気づかされたよ。
 
 
ーー私もピーランダーにはじめ出会った時は衝撃でしかなかったです。今まで持ってた“バンド”という概念を軽くぶち壊されたというか。ピーランダーそしてPeelander-Yellowとの距離が縮まったのは、ベタに飲み会の席でとかですか?
 
 
Peelander-Yellowと急激に仲良くなったのは釣りを教えてもらってからだね。そこから釣りにはまるようになって。バンドマンとしてではなく、友達の延長でそこにたまたま音楽があったという感覚に近いかもしれない。今までのバンドをやる感覚とは全く違うんだ。
 
 
ーー今回の加入は、ベースが脱退して誘われたからなのでしょうか?
 
 
そうだね。まさか俺に声がかかるとは思いもしなかったよ。
 
 
ーー日本に住んでいるベーシストが加入するとはとても驚きでした。アメリカに行くということは並々ならぬ決断だったのではないかと思うのですが。
 
 
そのときカミヒカルスをやっていたけど、自分自身のこの先のことをいろいろと考えて日本でやるにはもう限界だと思っていたんだ。歳を取っていると色々見えない制約が出てくるし…
 
日本のバンド事情って初心貫徹で音楽で飯を食えるレベルまで突き進むのか、きちんとした仕事をしながらバンドをやるのか二者択一になるじゃない?その狭い選択にも疲れていたし。ピーランダーのライブを観たり、メンバーから色んな話を聞いたりしていて音楽人として自分に合う土壌は日本よりアメリカ、と確信していたから。これはチャンスで、渡ってしまえー!と思って決めたんだ。
 
 
ーー「アメリカの方が音楽がやりやすい」とおっしゃられましたが、それはどのようなところがですか?
 
 
極論でずばり!「芸術を受け入れる土壌が違う」それが一番の理由かな。
 
 
ーーなるほど、音楽活動がきちんと仕事として成り立つわけですもんね。
ピーランダーは今までメンバーチェンジを繰り返して、より強力なバンドに成長し続けているバンドだと思うんです。今後のピーランダー、加入をしてどのようになると伊藤さんは考えますか?
 
 
より趣味に走っていくんじゃないかな。ピーランダーワールドに俺がより肉付けができると思っている。エンターテイメントとしての技術をより磨いていくんじゃないかな。
 
 
ーー来日の可能性とかないですかね?
 
 
そろそろフジロックとかに外人枠で出たいよね(笑)
 
でもどこでもやれるところがあればやるよ。俺たちを求めてくれる環境であればアメリカでも、ヨーロッパでも全力でエンターテイメントするだけさ。
  

 


いつか日本とアメリカを繋ぐことのできるような情報を発信できたら
 

 

ーーよく思うのですが、大人になっても挑戦することをやめずに突き進む伊藤さんやピーランダーを見ていると、とても奮起されます。
 
 
日本は何かと難しいからね…。
 
メジャーで活躍したい、フェスに出たいとか夢があるのは良いんだ。でもそれが達成されたときに、その到達点にしがみついてなんとか突き放されないようにしなきゃというところに必死な音楽人が多いと思うんだ。「あいつらメジャーレーベルに切られたらしいぜ」とか聞くのもうんざりしていたし。現状の日本における音楽事情で活動するには俺個人は限界を感じずにはいられなかったね。
 
 
ーーこれからも長く音楽を続けることがひとつの軸なのですか?
 
 
まあそれもあるかな。
 
でも今回加入することは、Peelander-Yellowとなら音楽以外でもたくさん面白いことができるんじゃないかと思えたから。だから俺も彼も音楽にはこだわってない。音楽以外に面白いことで稼げる見込みが出たらそっちにシフトするだろうしね(笑)あくまでもツールの1つかな。
 
 
ーーPeelander-Yellowに惚れ込んでいるわけですね。
 
 
お互いがお互いに良い影響を与えて、成長していけるかなと。そんで残りの人生楽しくやっていけそうと思えたから(笑)
 
 
ーーすごい相手を選びましたね(笑)
 
 
懐も広いしね。いろんなところに走っていって、いろんなところで穴に落ちて、いろんな穴から「アカン!アカン!アカン!」って言って這い上がってきて、また走っていくような人だから。
 
 
ーー今後アメリカに渡るわけですが、どのように過ごしていこうと考えていますか?
 
 
まずはピーランダーを通して沢山の人と知り合うよ!
 
沢山経験した上でいずれは「アメリカで自分を表現する場を作るにはどうしたらよいか?」などなど悩んでいる人がいたらアドバイスをしたりできるような人になりたい。いつか日本とアメリカを繋ぐことのできるような情報を発信できたら、とは思っているよ。
 
日本だけに留まらないほうが、俺は良いと思っている。なんとしてでも海外に行け!とは言わないけどね。日本はとてもコミュニティ狭いから。俺の主観で言っちゃうけどイベントのメンツはいつまでたってもほとんど一緒で、呼んだ呼ばれたでやってるわけでしょ?それで深くはなるけど広がりは薄いと思う。
 
アメリカのいわゆる「ライブハウス」は居酒屋にステージが付いているような感覚。
老若男女問わずふらっと色んなジャンルの人が入ってきて酒と音楽を楽しむ。入場料なんてほとんどないし、あったとしても日本の値段の半値以下だね。とにかく日本と環境が全く違うんだ。母国語も違う今までとは全く違った環境で、自分の信じる最高の音で人々を湧かせる…これほどの快感と充実感はない!世界共通言語の「音楽」で会話できるんだぜ!?是非とも一度は味わって欲しいな。

行き詰まってるなら逃げ出す理由としてでもいいし、夢を追いかけるという理由でもなんでもいいから日本を飛び出して色んな経験してみてもいいんじゃないかなぁ。
 
 
ーー世界には見たこともない面白いことが広がっていますしね。
 
 
まだまだあるよ!!!人生の旅は出来る限りすべき!
 
 
ーーそれでは最後に、今後ピーランダーで何をしていきたいですか?
 
 
ピーランダーはいつもやりたいことやってるからなぁ(笑)ピーランダー専用のハコを全米に作る。
サーカスみたいなのでもいいけど各地にピーランダー劇場を作りたいな。僕たちの街にカラフルなおじさんたちがやってくる!なんて言われて。はじめは人んちのガレージとかでYellowが書いた看板を掲げといてさ。ツアーは1年に1〜2本しかできないから、1年にその時だけガレージがピーランダーシアターになるっていうアイディアいいかも!?
 
あとはアメリカなんだけどコテコテの日本の夏祭りのようなイベントもしたい!
 
 
ーーピーランダーは可能性の塊ですよね。
 
 
音楽以外で出来ることが多いバンド……ではなくエンターテイナー集団だからね。Yellowと話してたらもっともっと突飛なアイディア出てくるよ(笑)
 
 
ーー新体制でのピーランダーのパフォーマンスもとても楽しみにしています。
 
 
今はアイディアをたくさん溜めている状態なんだ。それを状況に合わせて繋いでいくのが醍醐味ではある。Yellowの世界観を形にしたものがピーランダーだからね。
ちなみに俺がこんなガタイだからだいぶパワープレイにはなってきているよ(笑)
 
 
ーーそれではまた来年、アメリカで見れることを楽しみにしています!
 
 
ありがとう!!また炎天下で乾杯しようぞ!!
 


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