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川端安里人のシネマジプシー vol.7 『エクソシスト3』

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はい、どーも安里人です。日に日に暑くなっていますね。気が付けば6月も終わりで夏が始まりそうで最悪です!夏は暑いし、蒸れてベタベタするし、日光は厳しいし、虫が出てきてなんか五月蝿いし、エアコンで気分が悪くなるし、と超インドア人間の自分には良いことなんて一つもありません!夏なんてなくなればいいのに!そんなことを考えながら鬱々とした日々を送る自分ですが、ほぼ例外的に夏で好きな要素がありまして、そうです、心霊です!オカルトです!納涼!というわけで今回はオカルト映画の名作『エクソシスト』と、実質その直接的な続編でありながらイマイチメジャーになりきれない、隠れた名作『エクソシスト3』について書きます。「今更『エクソシスト』かよ」とか言われそうですが、まぁそう言わずに。

 

 

 

まず大前提なんですが、『エクソシスト』には2種類のバージョンがありまして、1973年の劇場公開版と2000年のディレクターズカット版と言うのがあります。劇場公開版は監督のフリードキンの思うように編集したバージョンで、ディレクターズカットとか言っておきながらディレクターズカット版は原作、脚本、そして『エクソシスト3』の監督でもあるウィリアム・ピーター・ブラッティの意向に基づいた編集がされているんですね。個人的にはディレクターズカット版の方が好みなんですが、どう違うかと言うと劇場公開版ではカットされたセリフなどが、ディレクターズカット版では復活しており、テーマ的に分かりやすくなっています。ちなみにスパイダーウォークと呼ばれるあの名シーンがあるのはディレクターズカット版だけです。

 

 

 

 

『エクソシスト』は有名なので、あらすじはこの辺にしておきましょう。この映画、派手というか、当時の特殊効果の集大成でもある悪魔に乗り移られた少女リーガンの言動に意識が集中しがちですが、観客をびびらすために本当にいろんな工夫をしている映画です。有名どころでいうとサブリミナル的に一瞬だけ (ディレクターズカット版では何度か) 悪魔の顔を挿入しています。

 

 

 

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また、どういう経緯で仕込まれたのかわかりませんが、よく見るとローマ字で『TASUKETE』と暗闇の中に書いてあったりと、意識できるかできないかくらいのレベルで「嫌なもの見ちゃったな……」と観客が思えるようになっています。

 

 

 

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それだけでなく、ウィリアム・フリードキン監督のリアルな怯えに対する執念は、幽霊よりも生きている人間のほうが恐ろしいを地で行く逸話を生んでいます。「俳優を本気でびびらすために現場で拳銃ををチラつかせた」だの、「白い息と本当の震えが欲しい!ということでスタジオをマイナス20℃にした」だの、「ショックを受けた演技が生ぬるいと、ダイアー神父役のウィリアム・オマリーに撮影直前にビンタを食らわせて撮影する」など監督の方が悪魔じゃないのか、と思うような伝説の数々を残しています。

 

 

 

 

でもね、それだけだったらただのこけ脅し、ただの怖い映画ですよ。

 

 

 

なぜ『エクソシスト』という映画がホラーというジャンルを超えて映画史に残る傑作と謳われているかというと、この映画を引いた視線で見たときに見て取れるテーマ、究極の悪とは何か、人は信仰の喪失という危機をどう乗り越えるのか、そしてそれらを踏まえた上での究極の善対悪という古典的なテーマを見事に描いているからです。

 

 

 

ここでフリードキン監督が「映画を見たらわかるだろう」と劇場公開版でカットしたにも関わらず、原作者ブラッティの意向で復活した、この映画のテーマがよく表れているある台詞を引用しましょう。このセリフは信仰を失いつつあった若きカラス神父と、病でそう長くは持たないであろうベテランのメリン神父が悪魔払い儀式の休憩中に交える会話です。

 

 

 

カラス神父『なぜあんないい子が (悪魔に) 選ばれた?』

 

 

 

メリン神父『我々を絶望させるためだ。自分がまるで獣のようで、心が醜く、神の愛に値しないと思わせてな』

 

 

 

このセリフを説明的と捉えるかは置いておいて、ここでは一つの悪の形というものが如実に言及されていると思えます。つまり善なるもの、純粋なものを破壊し、悪行を行わせるものこそが究極の悪だということです。最近の分かりやすい例だと『ダークナイト』のジョーカーも、同じ悪のテーマを持った敵として登場していましたね。そして、このテーマをさらに押し広げたのが『エクソシスト3』です。『エクソシスト2』には原作者ブラッティはノータッチでして、虫の大量発生などのヴィジュアル的なショックに力を入れた結果、テーマ性が薄れたので、なかったことにして創られた直接的な続編が3です (一応悪魔に憑かれた少女のその後が2、神父のその後が3とかぶらないようにはできてますが) 。

 

 

 

ダークナイト

 

 

 

3の舞台は「エクソシスト」の悪魔憑き事件から15年後のジョージタウン。連続猟奇殺人が発生し、キンダーマン警部 (忘れられがちですが、一作目からちゃんといるキャラです) は15年前に犯人が死刑執行されている事件の模倣であること、被害者が教会関係者であることを突き止めるが……という話で、淡々と刑事ドラマとして進行していきます。キンダーマン警部役のジョージ・C・スコットの、口汚い無神論者だけど頭の切れるいいやつ感が醸し出すなんともトボけた雰囲気と、オープニングの瞳を開けるキリスト像のシーンから、何か嫌なことが起きそうな雰囲気が絶妙の緩急を映画全編に与えています。

 

 

 

そしてこの映画、発生する事件の凄惨さの割に全く残酷描写を見せないのも好感が持てます。そういうところで勝負したい映画じゃないんですね。でも逆に見せないことによって想像を掻き立てられてより不気味に、悲惨に感じられるのがまた面白いところです。

 

 

 

当初はジョン・カーペンター (第一回で紹介した『ゼイ・リブ』の監督ですよ) にブラッティは監督をしてほしかったらしいのですが、『原作者の君の方が作るべきビジュアルを理解しているはず』と断られて、ブラッティ自信が監督することになったそうです。

 

 

 

今思い返すと自分が少年時代を過ごした90年代というのは『羊たちの沈黙』に始まり、『セブン』が大ヒットしたり、日本でも『CURE』があったりとサイコ映画ブームがあった時代で、どこか異様な空気感がウケていたような気がするんですが、この『エクソシスト3』は今観返すとその先駆け的な側面が強い映画です。特にキリスト教をバックグランドに持つ猟奇殺人描写は『セブン』に、独特のテンポ感や見せない演出によって恐怖を煽る演出方は『CURE』に影響を与えているように見えます。

 

 

 

羊達の沈黙

 

 

 

ここからはネタバレありきで書くので、内容を深く知らずに見たい人はここまでにして欲しいんですけど、この映画の最も嫌なところ、辛いところ、悪魔の目的の話です。根源的なテーマの話。

 

 

 

悪魔の目的はズバリ、一作目で自己犠牲によって悪魔から少女を救ったカラス神父への復讐です。そこで悪魔は、猟奇殺人鬼を瀕死のカラス神父に憑依させ、昏睡から目覚めた15年後に猟奇殺人鬼へと変貌させたわけです。聖人、善人に悪行をさせるという悪のテーマの最も残酷な見せ方をしていますね。先ほど例にあげた『ダークナイト』でも悪の権化ジョーカーは、街から犯罪をなくそうとする正義の検事ハーヴェイ・デントを復讐鬼トゥーフェイスに変えることで、バットマンや町の人々を絶望させようとしていて、非常に似ているんです。それ以外にもこのエクソシストの悪魔とジョーカーには不思議なシンクロがありまして、『エクソシスト3』の恐怖シーンの一つに聖人像が歪んでいるというシーンがあります。

 

 

 

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どうですか、似てませんか?

 

 

 

他にも刑事と死刑にされた猟奇殺人鬼が、カラス神父を軸に対峙する名シーンではブラッド・ドゥーリフ演じる殺人鬼がどこか『ダークナイト』のヒース・レジャーに影響を与えているような気がしてなりません。

 

 

 

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もちろん、この善を悪に染めるというテーマは『エクソシスト3』が初めてではありません。ミルトンの『失楽園』などでも有名なキリスト教の普遍的な悪魔観ですね。

 

 

 

なんだか納涼とは遠いところに行っちゃいましたが、本当にゾッとする映画であるのは間違い無いですし、サブカルでも宗教学でも知っていれば知っているほど楽しめる奥の深いシリーズなので、まだ見てない人は『エクソシスト』→『エクソシスト3』と通して見るのがオススメです。

 

 

エクソシスト3

Profile

川端 安里人
川端 安里人
1988年京都生まれ

小学校の頃、家から歩いて1分の所にレンタルビデオ屋がオープンしたのがきっかけでどっぷり映画にはまり、以降青春時代の全てを映画鑑賞に捧げる。2010年京都造形芸術大学映像コース卒業。

在学中、今まで見た映画の数が一万本を超えたのを期に数えるのをやめる。以降良い映画と映画の知識を発散できる場所を求め映画ジプシーとなる。

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